説教要旨」カテゴリーアーカイブ

2019年8月25日 主日礼拝メッセージ

「何を信じるのか、何を信じたのか」ヨハネの手紙第一1章5節~10節 金田洋介牧師

聖書には、私たち人間が信じるべき、神様の御言葉や事実が多く記されていますが、本日は信じるべき事実の一つについて語って参りましょう。

Ⅰ.人は誰でも罪人である

「罪」ということを考えることなしに、「何を信じる、何を信じた」ということを語ることはできません。人は誰でも神様の前に罪人です。もし、自分に罪がない、罪を犯したことがないというなら、自分だけでなく、神様をも嘘つきにしていることと同じだと聖書は語っています(8、10節)。神様の前に罪が赦されていない人の結末はみな、永遠の死と滅びです。神様の前に、罪の大きい小さい、重い軽いは関係なく、罪は罪として裁かれるのです。

Ⅱ.イエス・キリストが血を流して死んだ理由

次に「御子イエスの血」に注目します。御子イエスの血が流され、死んだ理由は、「すべての罪からわたしたちをきよめる」ためです(7節)。 イエス様が死んだのは、あなたの罪の身代わりだったのです。神様にとってイエス様という存在は、他に代わりのいない、誰も代わることができない、大切なたったひとりの存在です。イエス様を犠牲にすることは、神様にとって本当に耐え難い決断でした。それでも、私達の罪が赦されるために、イエス様を十字架につけられました。神様はかけがえないイエス様を犠牲にするほど、あなたを愛しているのです。

Ⅲ.私たちは何を信じるのか

「私の罪の身代わりに血を流して死んで下さったイエス・キリストによって、すべての罪がきよめられ、罪の滅びから救われた」という事実を信じるのです。もし、あなたが自分の罪を認め、罪を告白し、イエス様の十字架の死は私の罪の身代わりでしたと信じるなら、あなたの罪は赦され、きよめられるのです(9節)。まだ、イエス様によってもたらされた救いを信じていない皆さんは、「何を信じるのか?」が分かった今、この事実を是非、信じていただきたいです。すでに信じている皆さんは、「何を信じたのか?」が明確になった今、この事実をしっかり握って、信仰生活を歩んでいこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、パンパスグラス、ゆり(オバダ)、りんどう、トルコキキョウ、ガーベラです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ゴーヤのサラダでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

2019年8月18日 主日礼拝メッセージ

「キリスト我が内に在りて」 ガラテヤ人への手紙 2章11~21節 金田ゆり牧師

本日の聖書箇所は、ユダヤ人クリスチャンの目を気にして、異邦人クリスチャンから離れていったペテロを、パウロが非難するシーンから始まります。ペテロは、元の古い性質のペテロに囚われるところでした。古き罪の性質を抱える私たちを解放するのはキリストの十字架だと、パウロはキリストが何のために十字架に掛かられたのか、その真髄を語ります。

1.信じる信仰によって人生を全うするために 15~16、20節後半

律法は、人間の罪を示してくれるが、救うものではない。キリストを信じる信仰によってのみ、我々は罪が赦され、義とされたはずだとパウロは語ります。彼は信じる信仰に始まり、信仰のみで人生を全うしました。信じる信仰によって始まった私たちは、行いによらず自らの力によらず、どこまでも信じる信仰によって生き、人生を全うするのです。キリストの十字架は、私たちが信仰によって人生を全うすべきことを教えてくれるのです。

2.私自身が十字架につけられるために 19節

そもそも律法は、人間の罪を示してキリストの十字架に導くためにあります。キリストを信じた今、その目的は達成され律法の元にはいないのだ…律法を行わなければ救われないという古い罪の性質は、キリストと共に十字架につけられた!とパウロは宣言しました。キリストの十字架は、あなたの罪の身代わりのみならず、あなたの古き人がキリストと共に釘づけられるためであったのです。

3.私の内にキリストが生きてくださるため 20節

さらにキリストは、キリストと共に十字架につけられた者の内に生きてくださいます。キリストの命が、お考えが、価値観が、私のうちに生きてくださるのです。キリストが主導をとられ、あなた本来の生き方ができるように導かれます。キリストは、あなたの内に生きて自由と喜びに与らせるために、十字架に掛かられたのです「キリストが私のうちに生きておられる」という確信を得るまで、祈りを止めてはいけません。その瞬間が必ずやって参まいります。それが、主の約束であり、御心だからです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、ひまわりです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、ひじきご飯、きゅうりもみ、蒸しナスの鶏肉味噌かけ、ミニトマトです。おいしくて、食欲の進むメニューでした!
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2019年8月11日 主日礼拝メッセージ

「神の国はこのような者たちのもの」 マルコの福音書10章13~16節 金田ゆり牧師

人々が、イエス様に幼い子どもたちを祝福して頂こうと連れてくるシーンから始まっています。イエスは「神の国はこのような者たちのもの」と語られます。「このような者たち」とは、どのような人を指すのでしょうか。

1.小さく弱い存在・立場の者、弱さを認める者 13節

子どもは大人のような行動も判断も体力もなく、助けてもらわなければ生きていけない存在です。あらゆる面で小さく弱い存在なのです。このような子どもはイエスの時代、価値ある存在としてみなされませんでした。しかし、イエスがその生涯で最も関心を持たれ、愛されたのは、社会で隅に追いやられる、小さく弱い立場の者たちでした。私たちも自らの小さく弱いことを認めるとき、イエスは「神の国はあなたのもの」と御声を掛けて下さるでしょう。

2.疑うことなく神とみ言葉とを信頼する者 15節

イエスは、「このような者たち」とは「子どものように神の国を受け入れる者」と言われます。子どものように疑うことなく神とみ言葉を信じ、信頼する者と言えます。私たちは、目に見える現実だけに左右され、不安になりがちです。どこまで目に見えぬ神を信じ信頼できるでしょうか。それが時に難しい私たちだからこそ、イエスは「子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません」と強く迫られているのです。

3.イエスが憤られたということ  14節

イエスが憤られたということに注目しましょう。子どもたちがイエスのもとに連れて来られた時、弟子たちがそれを叱責しました。それをご覧になったイエスは憤られたのです。子どもたちがイエスのもとに行くのを、弟子たちが邪魔をしたからです。子どもたちがイエスのもとに行くのを邪魔をする、同様にあなたがイエスのもとに行くのを邪魔をするものを置いてはいけません。イエスへの道を妨げるものを、イエスは最も憤られるのです。

今私たちは自らの小さく弱いことを認め、幼子のような信仰を持って主の前に出るなら、「神の国はあなたのもの」とのイエスの御声を聞くことでしょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、菊、栗です。秋の足音が聞こえてくるようですね。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、ほうとう、高菜飯、厚焼きたまご、巨砲でした。
ほうとうは、富士登山のお土産でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年8月4日 主日礼拝メッセージ

「パウロの勧め~召しにふさわしく歩みなさい~」 エペソ人への手紙4章1~6節 金田洋介牧師

エペソ人への手紙4章以降は、神に召されたものがいかに歩むべきかが語られています。私たちは神に出会うまでは自分の思うままに歩んでいましたが、神に召され、神の家族の一員となりました。召された者として歩むとはどのような歩みでしょうか。

1.謙遜と柔和の限りを尽くす 2節

2節「謙遜と柔和の限りを尽くし」。謙遜とは、神の前に自分は誇るものなど何もない人間だと認めることです。柔和とは、イライラするような状況でも自らを治める自制と言えるでしょう。批判や恥を受けても、私は神の前には恥を受けるべき存在なのだと、自らを低くすることが謙遜と柔和の限りを尽くすことなのです。

2.寛容を示す

寛容とは、馬の合わない人を受け入れることと言えるでしょう。全く違う価値観の人々との違いを認め、理解をしようと努め、時に尊敬し、そこから学ぼうとする。これが寛容と言えるでしょう。

3.忍耐の愛

謙遜も柔和も寛容も、愛から生まれるものです。愛は忍耐が伴います。しかし人の愛には限界があります。神の愛を知り、受け取って初めて、謙遜と柔和と寛容の道を歩みだせるのです。

4.平和の絆を結ぶ 3節

私たちは神と敵対している存在でしたが、イエスの十字架と復活によって神との和解が与えられ、平和を得ました。神との平和を得た私たちは、人との平和を結ぶようになるのです。世に遣わされたとき、それが難しく感じることはあるでしょう。聖霊のお力だけが、平和を可能にしてくださいます。

4~6節。私たちは聖徒同士の愛の交わりを通して愛することを学び、知り、体験します。信仰は一つ、バプテスマは一つ…同じ主を信じた私たちに、聖霊は同じように臨まれます。自分の力に頼ってはいけません。どこまでも主を信頼しなさい。主が必ず、あなたを召しにふさわしく整えて下さいます。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、オンシジューム、グラジオラス、パンパス、つつじです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、写真はありませんが、野菜の浅漬け、お土産のお菓子でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

2019年7月28日 主日礼拝メッセージ

「パウロの祈り」 エペソ人への手紙3章14~19節   金田洋介牧師

これまでパウロは、ユダヤ人も異邦人も一つの「神の家族」とされたことを手紙で説き明かしてきました。パウロは「神の家族」を生み出してくださった神を「父」としてあがめ、その父なる神の前にひざまずいて祈る(15節)と言っています。

Ⅰ.内なる人が強められるように

パウロは御霊によって内なる人が強められるよう祈っています(15節)。イエスを救い主と信じた人は、自己中心とこの世の価値観に従っていた者から、イエスと共に生きる新しい命、神の御言葉に基づく価値観を持つ者とされました。この祈りは、クリスチャンとなった人々が過去の虚しい生き方に戻らないよう、御霊の力によって日々守られ、強められるようにとの祈りなのです。

Ⅱ.キリストが心のうちに住んでくださるように

次にパウロは「あなた方の心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」(17節)と祈っています。イエスを信じ受け入れた人はみな、自分という家にイエスをお迎えしたようなものです。そしてイエスは、「決してあなたを離れずあなたを捨てない」と約束しておられるように、あなたの人生を共に歩んで下さるのです。この「住む」という言葉は、「定住する」という意味です。つまり、パウロの祈りは「あなたがたの心の内に住んで下さったイエスを、どこかの部屋に追いやるのではなく、あなたの家の中心(心の真ん中)に定住していただき、あなたの主人になって下さるように」という祈りなのです。

Ⅲ.キリストの愛を理解することができるように

最後に、パウロは「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ…を知ることができるように(18~19節)」と祈っています。イエスの愛は、どんな人にも与えられ( 広さ)、永遠にまで至り(長さ)、卑しい私たちを神の御許に引き上げ(高さ)、罪による死と滅びという絶望の淵の深みにまで届く(深さ)、人知を遥かに超えた愛です。このキリストの愛は、神の家族とされた聖徒たち一人一人の愛の関係の中に現れるのです。

このパウロの祈りを私たちの日々の祈りとしてささげましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、レッドジンジャー、ゆり、八重ひまわり、アレカヤシです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、豚汁、かぼちゃサラダ、ごはん、スイカ、かぼちゃケーキ、お土産のお菓子もありました。たまにこんな豪華メニューが出ます!(^^)!。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年7月21日 主日礼拝メッセージ

「イエス様の命令と約束」 マタイの福音書28章16~20節 金田洋介牧師

キッズサマーキャンプと合流しての礼拝です。本日のメッセージはキャンプのテーマに合わせて語ってまいります。聖書箇所から、十字架の死から復活されたイエスが弟子たちに与えられた命令と約束を学んでまいりましょう。

イエスの復活の知らせを、直接イエスに会った女弟子たちから聞いた十一弟子たちは、イエスが命じられた通りにガリラヤへと向かいました。ガリラヤは、かつて弟子たちがイエスの弟子として出発した思い出深い地でした。

彼らは復活されたイエスに会い、礼拝しました。イエスが神の御子であり、神ご自身であることを信じたからです。しかし、甦られたイエスを信じることができなかったのか、中には疑うものもいました。そんな彼らにイエスは近づかれ、『 私は天においても地においても、すべての権威が与えられています。』と宣言されました。これは、イエスご自身が全てのことにおいて、絶対的な権威を父なる神様から与えられていることを意味しています。疑う弟子たちに、イエスこそ礼拝されるべき存在であるということを教えたのです。そしてイエスは『あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなた方に命じておいた、すべての事を守るように教えなさい。』と命じられました。弟子たちはこの命令に従い、全世界に出て行って福音を宣べ伝えたのです。

この命令は、現代の弟子である私たちにも与えられています。私たちはイエスの十字架と復活の福音、イエス・キリストの言葉を述べ伝える使命が与えられているのです。しかし、イエスは私たちだけにその使命を押し付けたりはしません。主イエスは、『見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。』語っておられます。この言葉は真実です。私たちは、主イエスがいつも共におられるということを、現実の日常生活や、信仰生活の中で体験することができるばかりか、その体験を通して私たちの信仰はさらにゆるぎないものへと成長していくのです。いつも共におられる主を喜び、賛美しつつ、福音を携えて世に出ていきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、グラジオラス、リンドウ、トルコキキョウです!

この日は、キッズサマーキャンプが教会で行われました。
ゲームや賛美、お話を聞いたり、

あいにくの雨でしたが、傘をさして花火をしたり、

ラジオ体操をしたり、

礼拝で思いっきり賛美したり、

牧師先生を的に、一斉に水鉄砲を噴射したりと、
たのしい二日間でした。

 

 

2019年7月14日 主日礼拝メッセージ

「キリスト・イエスにある恵み」 エペソ人への手紙 2章11~22節 金田洋介牧師

イエス様を信じる以前のかつての姿と、イエス様を通して与えられている恵みを、パウロは教えています。

Ⅰ.キリストにあって神様に近い者とされた

エペソ教会に集う人々のかつての姿は、イスラエルの民のように「救い主をもたない」異邦人でした。また、神様の民イスラエルが受けるような祝福にも与れません。まさに、「この世にあって望みもなく、神もない者たち(12節)」でした。ところが、キリストの血によって「神様に近い者」にされたとパウロは諭します。それはすなわち、神様と正しい関係が結ばれたということです。

Ⅱ.キリストにあって一つとされている

続いてパウロは、互いに敵意をもって拒絶し合っていたユダヤ人と異邦人とが、キリストにあって一つにされたと教えました。一つとは同じ救いを得た者同士の意味で、救いとは神様との和解を意味しています。前述の「神様と正しい関係が結ばれた」とは、まさにこの神様との和解のことなのです。神様と和解し、神様との関係が回復されたことによって、神様の御心を知る者、御心を行う者とされました。その結果、神様との和解がユダヤ人と異邦人とに和解と平和を生み、神の家族が誕生したのです。私たちの教会も同じ救いを得た者の集まり、共に重荷を担い、共に喜び、共に泣き、共に祈る、神の家族なのです。

Ⅲ.キリストにあって聖なる宮とされている

最後は、キリストにあって救われた一人一人が組み合わされ、聖なる宮とされていくというのです。神様から遠く離れていた異邦人たちが、キリストにあって救われるだけでなく、彼らの内に神様が住まれることによって、彼らの信仰が建て上げられ、成長していくという驚くべき恵みです。しかし、この恵みは今日を生きる私たちにも与えられる恵みであることを忘れてはなりません。私たちもエペソのクリスチャンたちと同じように一人一人が組み合わされ、神様の聖なる宮とされ、信仰が成長し、建て上げられていくのです。キリスト・イエスにある恵みに心から感謝しつつ、この恵みに生きようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、リアトリス、オリエンタルユリ(エルドレッド)、スターチス、ひまわりです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ゆかりご飯、たくあん、差し入れの手作りかぼちゃケーキもありました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

 

2019年7月7日 主日礼拝メッセージ

「救いの恵みに生きる~四つの縛りからの解放~」エペソ人への手紙 2章1~10節  金田洋介牧師

パウロは、エペソ教会の人々がどういう状況の中から救われたのかを思い起こさせるために、これまで彼らが縛られていた四つのことを示しましたが、私たちも彼らと同じように縛られていた存在であったことを思い起こしたいのです。

1.「背きと罪」の中に死んでいた

まず、パウロは背きと罪の中に死んでいた者だったと語ります。罪は的外れ、道を外れる、間違った道を歩むという意味です。神様のお心に背き(反抗し)、神様という的を外れ、誤った道を歩んでいたということです。

2.「この世に流されていた」

次に、神様中心の世界の価値観(聖書の価値観)ではなく、自己中心の世界の価値観(この世の価値観)に流されていた者でした。イエス様は「この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである」と言っておられました(マタイの福音書18章7節)。私たちは、罪の世に流されるまま生きていた者だったのです。

3.「空中の権威を持つ支配者」に従っていた

「空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊」とは、神様の御言葉に逆らわせ、人間を不従順の道へと誘う存在、サタンです。私たちはサタンの虜にされていたのです。

4.「肉の欲」に従って生きていた

「肉の欲」とは、自分の思うまま、欲するままに生きる。すなわち、自己中心的な生き方であると同時に、神様の御言葉、御心に反抗する欲求のことです。肉の欲がもたらす罪(ガラテヤ人への手紙5章16~21節)に囚われ、生きていたのです。

かつての私たちは、これらのものに縛られていた存在でしたが、イエス様を信じて救われ、解放された(イエス様を信じるなら解放される)のです。この救いは神様から与えられた恵みです。この素晴らしい救いの恵みの大きさを自覚し、この恵みを土台として、良い行い(神様の御言葉、御心に従う人生)という応答を神様に現わしていこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、ゆり、トルコキキョウ、バラ、オンシジュームです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、とろとろあんかけ丼です。野菜とシーフードのバランスがばっちりの一品でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年6月30日 主日礼拝メッセージ

「キリストが満ちている教会」  エペソ人への手紙1章15~23節  金田洋介牧師

教会は「イエス・キリストが満ちみちておられるところ」です。それはつまり、イエスの御言葉とご生涯が現される教会ということができます。

Ⅰ.祈りに満ちている教会

主イエスは、いつも天の父なる神に祈るべきことを教えられ、イエスご自身もそれを実践されました。イエスは祈らないで、数々の奇跡を行うことはなさいませんでした。常にイエスは天の父なる神様に祈られたのです。ですから、私たちも、教会も、イエスが祈られたように、祈りに満ちたものでありたいのです。

Ⅱ.赦しに満ちている教会

次に、赦しに満ちている教会です。教会でいう赦し、それは罪の赦しです。愛である神は、私たちを罪の滅びから救うために、御子イエスを十字架につけ、裁いて下さいました。その故に私たちの罪は赦されたのです。教会は赦しに満ちている所であり、赦された者たちの集まりということができます。しかし、赦しに満ちているからと言って、安易に罪を許容しているのではありません。人の罪を憂い、自分の事として痛み、祈ることが赦しに満ちている教会の姿なのです。

Ⅲ.イエス・キリストの愛に満ちている教会

最後に、イエス・キリストの愛に満ちた教会です。「神を愛し、あなたの隣り人を愛せよ」と言われたイエスは、その通りの生涯を歩まれました。罪人の友となり、人々の苦しみ、悩み、悲しみを担われたご生涯でした。教会は、このイエスに愛されている者たちが集まるところです。イエスに愛されている者、すなわち、全人類がその対象です。イエス・キリストの愛が満ち、その愛に生かされている全ての人々、私たち一人一人が集まるところ、それが教会なのです。

教会とは、主イエスを神の子、救い主と信じ告白する人々が召し集められてできた共同体のことです。召し集められた私たち一人一人が、祈りに、赦しに、愛に満ち、主イエスの御言葉、ご生涯が現される教会(共同体)でありますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、スターチス、ゆり(ソルボンヌ)、デルフィニュウム、ケイトウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、シチュー オン コーンライスです。コーンは缶詰ではなく、お当番さんが、ちゃんと生のトウモロコシを使ってくださいました。お土産のチョコまんじゅうもありました。

 

2019年6月23日 主日礼拝メッセージ

「神による救いの計画」 エペソ人への手紙1章1~14節  金田洋介牧師

皆さんは、初めて教会に来た時のことを覚えておられるでしょうか。誰かに誘われて来られた人、自ら進んで来られた人、それぞれあると思います。これまでの経緯を思い返す時、自分の意思や計画を超えた神の導きを思わずにはいられません。聖書は、神様の壮大な救いのご計画を明らかにしています。

Ⅰ.定められていた救いの計画 (3節~6節

3節から5節の御言葉によりますと、神様は私たちを「御前に聖なる、傷のない者にし」、さらには神の子としての身分を与えようと、「世界の基が据えられる前(天地創造以前)から、救いの計画を立てておられたとあります。教会へ導かれた経緯はそれぞれ違います。きっかけも、理由も、時期もそれぞれ違うでしょう。しかし、全ては神様の計画の中にあったというのです。この壮大な救いの計画の中に私たちが置かれていたことを感謝し、また、今まさに救いを願っている私たちの周囲の人々にも備えられている神の救いのご計画に期待しましょう。

Ⅱ.イエス・キリストの血による贖いと目的(7節 ~12節)

神様による救いの計画を完成するためになくてはならない人物こそが、イエス・キリストであると聖書は語っています(7節)。ここで用いられている「あがない」とは、代価を払うことによって「自由にする」または、「解放する」という意味から、「罪からの自由、解放」を意味します。また聖書は、すべての人が罪の下にあり、すべて罪を犯す者は罪の奴隷であると教えています。私たちは、御子イエス・キリストの血によって罪の支配から解放され、救われたのです。

また、6節、12節に、私たちが救われたのは、この壮大な救いの計画を全うされた神様の栄光を「ほめたたえるためだとあります。神様の壮大な救いの計画がイエス・キリストを通してこの身に実現したことを感謝し、この恵みを与えてくださった神様の栄光をほめたたえ続けようではありませんか。私たちがいつも神様の栄光をたたえて続けていくなら、やがて私たちの周囲をも巻き込み、神様の救いが拡大していくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、チンシバイ、トルコキキョウ、ゆり(イエローウィン)、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、たたききゅうりの韓国風味です。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。