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2018年11月4日 主日礼拝メッセージ

「十字架のことばは神の力」 ローマ人への手紙8章37~39節 コリント人への手紙第一1章18節 金田洋介牧師

主イエスの十字架は、主なる神様の愛と力が豊かに表されています。主イエスの十字架がもたらした、神の力を知りたいのです。

Ⅰ.何者にも奪われない神の愛の力

パウロは、何者にも奪われない神の愛の力を確信していると断言しています(38~39節)。彼がこれほどの確信に至ったのは、彼自身の体験に基づくものでしょう。私たちも愛なる神の御業を、御力を期待する者とされたいのです。疑わないで、信じ求めようではありませんか。神はご自身の時と方法で、必ず応えてくださることでしょう。その時、あなたに対する神の愛を実感するのです。
その一方でパウロは、神の愛に対する確信を脅かす、様々な困難について触れています(35~36節)。しかし彼は、神の愛の力による圧倒的な勝利を断言します(37節)。たとえ困難が襲ってきても、あなたの神の愛に対する確信は、さらに増し加えられていくのです。

Ⅱ.私たちを罪と恥から解き放つ力

誰でも他人の目や、人前での恥を気にしやすいものですが、こと神様の目に自分がどう見えているかについては無頓着ではないでしょうか。聖書は、人間はみな罪人だと教えています。時に、罪は私たちを後ろめたい思い、惨めな思い、恥ずかしい思いにさせます。ですから、他人にも、神様にも知られたくないという思いが働き、その結果、罪を認めず、言い訳をして一生懸命取り繕うのです。しかし、たとえ人の目をごまかすことはできても、神様の前に罪や恥を隠し通すことはできません。どんなに隠そうとしても、最後には神様の前で厳粛に裁かれることになるのです。そこで神様は、主イエスを十字架につけられました。主イエスは十字架の上で晒し者にされ、辱められました。それは、私たちが罪や恥を隠そうとする縛りから私たちを解き放つためでした。何という恵みでしょうか。主イエスがあなたの罪と恥を負って下さったことを感謝し、神様の御前に誠実に歩みましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、やまてらし、カンガルーポー、オリエンタルユリ、グラジオラス、アルストロメリアです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の酢漬けしょうが風味です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会のひっそりさんシリーズ
駐車場の砂利から一輪のアサガオが…瞬く間にしぼんでしまうアサガオですが、健気に咲いた証をパシャ📷
10月19日撮影
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」マタイによる福音書6章28~30節。

2018年10月28日 主日礼拝メッセージ

「わたしたちの成長を願われる神」  ペテロの手紙第二 3章18節 金田洋介牧師

ペテロが小アジアに散らされたクリスチャンに宛てた第一の手紙に続き、本書は以前から彼らに警告していたことを思い起こさせ、偽預言者の惑わしに対する注意と、イエス・キリストの恵みと知識において成長すること(3章18節)を熱心に勧めています。今日、私たちの信仰が成長していくことを願っておられるのは、他でもなく神様です。

Ⅰ.イエス・キリストの恵み

ペテロは救い主イエスを通して与えてくださる恵みによって成長するよう勧めます。その恵みとは、彼が第一の手紙で書き記している(ペテロの手紙第一 1章3節~9節)、キリストと共に生きる新しい命、決して失われない永遠の命、朽ちることのない御国における資産、たましいの救いです。これらの恵みは、イエスを救い主と信じる信仰によって誰にでも与えられる恵みです。このような素晴らしい恵みが与えられていることを感謝し、喜びつつ歩んでいくことが大切です。

Ⅱ.イエス・キリストの知識

続いてペテロは、救い主イエスを知る知識によって成長するよう勧めます。私たちは、聖書をとおして、全ての「道であり、真理であり、命である」主イエスを知ることができます。それと共に大切なことは、人格的な交わりによってイエスを知るということです。主イエスを知るとは、イエスとより多くの時間、より深く、より親しく交わることでもあるのです。それは、祈りを通してもたらされます。どんな些細なことも、困難なことも主イエスに祈り打ち明けるなら、イエスが私たちの現実に、確かに生きて働いていることを体験するのです。私たちは御言葉と祈りによって、イエスを知識的、体験的に知ることができるのです。

救い主イエスによる恵みを覚え、知識的に体験的に主イエスを知る時、私たちの主イエスに対する信頼と確信が増し加わり、揺るぎない信仰に成長していくのです。主の恵みと知識によって、共に成長させていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今回は2週分のお花を紹介します。10月21日のお花は、ゆり(イエローウィン)、ハイビスカス、菊(アナスタシア)、ミヤマリンドウです。

10月28日のお花は、カンガルーポー、オリエンタルユリ、オンシジューム、トルコキキョウ、まんさく、です!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
10月28日のメニューは、親子丼、大根とリンゴのサラダ、みかんです。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2018年10月14日 主日礼拝メッセージ

「ただ一つの確信」 ヨハネの福音書 9章1節~17節、24節~25節  金田洋介牧師

Ⅰ.生まれつきの目の見えない男性の信仰

ある時イエスは、道端で物乞いをしている盲人の男性に目を向けられました。するとイエスは、ご自分の唾で土をこねて泥を作り、その泥を盲人の目に塗って、「シロアムの池で洗いなさい」と命じられました。彼がイエスに言われた通りにすると、生まれつき見えなかった目が見えるようになったのです。これは、イエスが作った泥やシロアムの池に力があったのではなく、この無意味に思えるようなイエスの言葉に彼が従ったからでした。彼の目は信仰によって癒されたのです。目の見えない彼にとって、池までの道のりは困難の連続だったでしょう。石に躓いたり、途中で諦めてしまいそうになったかもしれません。しかし、最後までイエスの言葉を信じ、従った先に素晴らしい結末を得たのです。あなたもイエスの言葉を信じて従うなら、あなたの人生に神の御業が現れる(2節)のです。

Ⅱ.ただ一つの確信

ところが、イエスが盲人の男性を癒されたことを巡って騒動が起こります。ユダヤ人たちは、彼を癒したイエスについて聞くために、彼を連れてパリサイ人達の許へ行きました。すると、イエスを巡ってパリサイ人の間で論争が起こり、分裂が生じます(16節)。ユダヤ人たちも、癒しを信じることができないばかりか(18節)、イエスがどこから来たのかも理解できません(29節)。これは、彼らの不信仰が原因でした。 一方、目を癒された男性もイエスについては全くの無知でした 。しかし、彼には「私は盲目であったのに、今は見える…」(25節)という確信がありました。イエスが見えなかった目を開き、救ってくださったという事実に基づく、彼のたった一つの確信でした。 この事実は、彼がイエスの言葉に信じて従ったことによってもたらされた確信です。すべては、イエスを信じる信仰から始まります。「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。(テモテへの手紙第一 1章15節)

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、グラジオラス、ゆり、グロリオサです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、麻婆豆腐丼、中華スープ、みかんです。麻婆豆腐は子どもにも食べやすい、マイルドで美味しい味付けでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会の庭に咲く、ひっそりさんシリーズ。
刈り込みをされていた姉妹が、切るのはかわいそう、とこの花だけ残してくれました。シモツケですね!最後まで頑張って咲いてね。
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」マタイによる福音書6章28~30節。

 

 

2018年10月7日 主日礼拝メッセージ

「私の平安を与える」 ヨハネの福音書 14章27節  金田洋介牧師

ある医師の調査によると人が思い煩うことの半分近くが、まだ起こっていないことに対する恐れや心配が原因だそうです。いかに私たちが心配しやすい者であるかが分かります。テキストは、最後の晩餐の席でイエスが弟子たちに語られた言葉です。弟子たちは「イエスがいなくなるのでは」という不安と恐れで心が騒いでいました。しかし、イエスは言われました。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」と。 では、イエスが与える平安とは何なのでしょうか。二つの言葉に注目しましょう。

一つ目は、イエスが残された平安。それは御言葉です。イエスと弟子たちの間には、常に御言葉がありました。彼らはイエスの御言葉の力を目の当たりにしてきたのです。今日、イエスの御言葉は聖書を通して私たちに与えられています。イエスの御言葉は真実であり、愛と力に満ちています。あなたがイエスの御言葉を信じるなら、弟子たちと同じように御言葉の力と平安とに満たされるのです。

二つ目は、神がイエスを通して与えてくださる平安です。イエスはその平安を「世が与えるのと同じようには与えません」と言われました。世が与える平安は、私たちの努力と犠牲を必要とします。しかし、どんなに多くの努力と犠牲を払っても、得られた平安は生きている間の限定的なものです。しかし、イエスを通して与えられる神の平安は、私たちの努力や犠牲を一切必要とせず、無条件、無資格で誰にでも与えられる平安。すなわち、罪の赦しと永遠の命による平安です。

神はイエスを通して、私たちにはどうすることもできない罪と死の問題を解決し、平安を与えてくださいました。さらに、神はご自身の全能の力をもって、私たちの日常に起こるあらゆる種類の不安や恐れをも解決してくださいます。あなたは今、何に心を悩まし、恐れを抱いていますか?主イエスによってもたらされた素晴らしい平安に与ろうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アップルユーカリ、ゆり、りんどうです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、ウインナー、かきたま豆腐汁、みかんです。お土産の愛媛銘菓もありました。

H家の、のんちゃん。トイプードルの男の子、6月生まれの元気いっぱいの5歳です。家族を癒してくれる人気者です。お兄ちゃん(18歳、人間)のお勉強のことをお祈りして、いってらっしゃいしています。💓🐶🏡

先日、コスモスとススキを見に、阿蘇に行ってきました。
さわやかな秋の一日でした。
「ハレルヤ。わがたましいよ、主をほめたたえよ。」(詩篇146:1)

 

2018年9月30日 主日礼拝メッセージ

「神の大能の力」 エペソ人への手紙1章15節~23 節 金田ゆり牧師

エペソ人への手紙1章のパウロの祈りは、クリスチャンたちの信仰が強められ成長するための、壮大な祈りでした。

1.神を知るための知恵と啓示の御霊を与えてください

17節「…栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」(新改訳2017)。聖霊は、 神というお方がいったいどんなお方なのか、私たちに教えてくださいます。「神を深く教えてください」と祈りましょう。具体的には、あなたの祈りと御言葉の時間に導かれるでしょう。神との関わりを持たずして、神を知ることはできないからです。祈りとみ言葉の中での、神とのやり取りの答えは、あなたの生活の中で必ず現されていくでしょう。あなたは神を深く知り、深い信頼で結ばれることでしょう。

2.受け継ぐものがはっきり見えるようにしてください

18節「あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか」。新改訳では冒頭に、「あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって」。キリストを信じる者は何が与えられているのか?ここがボンヤリしているのは、信仰の成長の妨げになります。キリストは、死と永遠の別れを解決し、永遠の命を与えてくださいました。私たちが目指しているこの永遠に、しっかり目を開かせていただきたいのです。

3.神の大能の力を知ることができるようにしてください

聖書には、私たちの地上での生活について何と言っているでしょう。19節「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」(新改訳)。神の大能の力。この力を知るために、私たちの地上の生涯があるのです。神のお力を知らずに生きるのは、何ともったいない人生でしょう。疑いようのない神の偉大な力を知ることができるよう、パウロの祈りに合わせて祈ろうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、ミニバラ、カーネーション、ゆり、まんさくです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、ちゃんぽん、栗ご飯、渋皮煮。なんと今週は、金田洋介先生が作ってくださいました。さすが元調理師!お味もとても美味しかったです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会の庭に咲いた、ひっそりさんシリーズ。
朝起きたら、一輪だけ、鮮やかなお花が…。百日草の仲間のようです。
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。マタイによる福音書6章28~30節。

 

 

 

2018年9月23日 主日礼拝メッセージ

「神が立てられた永遠の契約」 創世記17章1節~ 8節 金田洋介牧師

わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。(7節)

神がアブラハムと結ばれた契約は、今日、神を信じ、イエス・キリストを信じた私たちにも及ぶ、素晴らしい契約です。そして神が立てられた永遠の契約とは、あなたが信じた神が、あなたの子や孫、ひ孫の神として、子々孫々あり続けてくださるということです。信仰は継承され続けるのです。

では、この素晴らしい神が立てられた永遠の契約は、何によって確信できるのでしょうか。それは神を信じ、信頼することから始まります。神は信頼に足るお方です。 何故なら、神は全能のお方だからです。神はアブラハムに言われました。「わたしは全能の神である。」と。あなたの人生のあらゆる領域に及ぶ、全能の神をどこまでも信じ、どこまでも信頼するのです。その先に、神が真実なお方であることを知るでしょう。神が偽りのないお方であり、御言葉に語られているように真実を尽くし、愛と恵みと憐みに満ちたお方であることを。

ところが、神を信じているからといっても、毎日が平穏で問題がないという訳ではありません。喜びの日も、悩みの日も、心が騒ぐ日もあります。しかし、山あり谷ありの人生の中に、神がいつも一緒にいてくださることを実感するときがあります。神の全能の力が働かれたとしか言いようがない体験をする時があります。その時、「神を信じてよかった」と、心の底から思う素晴らしい経験をします。そのように、あなたが体験した神の力、神からの平安、 神を信じる喜びを、あなたの子や孫たちも体験するのです。あなたの神は、あなたの子孫の神としてご自身を力強く現してくださるのです。

神が立てられた永遠の契約は、神を信じ受け入れる全ての人に結ばれる契約です。あなたの信仰の一歩が、あなたの子孫にまで永遠の祝福をもたらすのです。決して失われない神の永遠の契約を、子々孫々、残していこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、つるうめもどき、りんどう、すかしゆり、白山木です。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、野菜の浅漬けです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

H家の庭に咲いた秋明菊です。こんなにきれいに咲かせてくださる神様って、本当に素晴らしいですね。

教会の受付に、さりげなく置かれた赤い実はハマナス。ミニトマトのように見えますが、鑑賞用のナス科の植物です。M姉が持ってきてくれました。

 

 

 

 

2018年9月16日 主日礼拝メッセージ

「I am a Christian ~あなた方の光を輝かさせなさい~」 マタイによる福音書5章13節~16節 金田洋介牧師

三回にわたり、クリスチャンが持つ大きな恵みを語っています。クリスチャンは、神が備えられた最良の道を生きる人になるということ。そして、神の愛で人を愛することができるようになることを知りました。最後の説教は、クリスチャンは素晴らしい光を持つ存在であることを御言葉から学んで参りましょう。

あなた方の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなた方のよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

イエスは『あなた方の光を人々の前に輝かしなさい』と言われました。この光は、『わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。』(マタイによる福音書8章12節)とイエスが言われた命の光のことです。「わたしに従って来る者」とはイエスを信じる人のことで、彼を信じる者は「永遠の命を持つ」とヨハネによる福音書3章36節にあります。つまり、主イエスを信じて従う人は、罪の闇を生きる生活から救い出され、永遠の命の光に輝くことができるということです。クリスチャンは永遠の命の光を持つのです。そして、イエスを信じた者は、永遠の命の恵みを与えてくださった神を証しする光としての使命が与えられているのです。

続いてイエスは、私たちの「良い行いによって神の御名がたたえられるようにしなさい」と命じておられます。良い行いとは、単なる善行とは違います。神の愛を基とした行い。つまり、見返りを求めず、犠牲を厭わない愛を動機とした行いのことです。ですから、あまり人が進んでしたがらないことや、人が適当にすませたいと思われるような面倒なことを、自ら進んで行うということでしょう。人や状況を選ばず愛を持って人に仕え、どんな事でも誠実に、忠実に行うのです。それらのあなたの行いを通して、あなたの周囲にいる人が神を崇めるようになるのです。素晴らしい命を与えてくださった神が、私たちを通して讃えられるとは何と幸いなことでしょうか。

この世に在って、命の光を輝くことができるのは、「I am a Christian」と告白した人だけです。堂々と告白し、イエスと共に命の光を輝かせましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、白山木、ゆり、りんどうです!

今週は敬老祝福ファミリー礼拝ということで、愛さん会は敬老お祝い膳でした。お赤飯、お煮しめ、つみれ汁、フルーツのヨーグルト添えです。お煮しめは味がよく染みておいしかったです。ヨーグルトは、強さを引き出す乳酸菌のヨーグルトが使われています。心尽くしのメニューでした。

礼拝中、熊本を訪れたソプラノクリスチャンシンガー、吉村美穂さんの特別賛美もありました。

U家のトラ吉くん。♂7歳。Uさんいわく「トラ吉は私の家族です。私は、完全にトラ吉のしもべになっていますが(^^ゞ、それでも彼を愛しています。タイガース頑張れ!!」

2018年9月9日 主日礼拝メッセージ

「十字架の愛 ~本当のクリスチャンになったヨハネ~」

ヨハネの第一の手紙 4章7節~10節 金田洋介牧師

イエスの弟子のヨハネは「愛の使徒」として紹介されています。ところが彼は、かつてイエスによって「ボアネルゲ(雷の子)」というあだ名を付けられていました。彼を「雷の子」から「愛の使徒」に変えた原動力は何だったのでしょうか。

Ⅰ.愛は神から出る

ヨハネは「愛は神から出たものなのである」と愛の出所を明確にしています。私たちの内に愛があるのではなく、愛は神から出ているというのです。神が愛の源なのです。そして、愛する人は神を知っていると言うのです。つまり、神を信じ、イエスを救い主として信じているクリスチャンは、神の愛で愛する人になるのです。

Ⅱ.明らかにされた神の愛

神の愛は、「神のひとり子イエス・キリストによって明らかにされた」とヨハネは語ります。「ひとり子」とは、他に代わりのいないたった一人の大切な存在ということです。神は、それほど大切なイエスを十字架につけ、私たちの罪の身代わりとして裁いてくださいました。それは、私たちの罪が赦され、死と滅びから救われるためでした。ここに神の愛があるのです。神の愛は犠牲を厭わない愛です。

Ⅲ.神に愛されているものとして

ボアネルゲと呼ばれたヨハネは、神の愛とはまったく程遠い人でした。彼の愛は感情に左右されやすく、限定的な愛でした。しかし、イエスの十字架によって明らかにされた神の愛を知り、ヨハネは愛する人に変わりました。彼は本当のクリスチャンになったのです。本当のクリスチャンは神の愛で愛する人なのです。私たちもイエスの十字架によって現された神の愛を知り、この愛を信じて受け入れるならヨハネのように、神の愛を持つ本当のクリスチャンに変えられるのです。

たとえ特別な何かができなくても、愛することができる人を目指そうではありませんか。愛することより大切なことはありません。あなたが自ら進んで愛するなら、それだけであなたの周囲は変わります。そればかりか、神の愛で愛するあなたを通して、愛なる神が生きて働いておられることが証しされるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、りんどう、ユーカリです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、親子丼、もやしのめんたいマヨネーズ和え、ゴーヤの甘酢漬けでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会員のペット紹介、今週は
K家のリンちゃん、♀14歳です。リンちゃんの可愛い子どもたちは、13年前に里子に出しました。以来、一匹でK家の癒しを一手に担っています。

 

 

2018年9月2日 主日礼拝メッセージ

「イエス様からのコール」 ルカによる福音書 19章1節~10節 金田洋介牧師

Ⅰ.イエス様からのコール

ザアカイの住んでいる町にイエスがやって来ました。ザアカイはイエスを一目見ようと出かけますが、大勢の人で見ることができません。おまけに彼は背が低い人でした。けれども彼は諦めず、先回りをして木に登り、イエスを待ちます。すると驚いたことに、「ザアカイよ、あなたの家に泊まることにしている」とイエスの方から声をかけてくださったのです。初対面のイエスが自分の名前を知っていたばかりか、自分の家に来るというのですから、余計驚いたことでしょう。「泊まることにしている(5節)」という言葉は、「泊まらねばならない」という意味があり、彼に会うことが目的であったということです。だからこそ、イエスの方から声をかけられたのです。この出来事が、彼に大きな変化をもたらします。

Ⅱ.クリスチャンになったザアカイ

イエスの来訪は彼にとって大きな喜びでした。なぜなら、彼は不正の富を貪る罪人。人々の嫌悪の的でした。彼は罪人で孤独だったのです。しかし、イエスはそれを知った上でザアカイに声をかけられました。それは、イエスが「失われたものを尋ね出して救うため(10節)」に、神がこの世に遣わされた神の御子だからです。イエスの愛に触れたザアカイは、自分の財産の半分を貧民に施し、不正な取り立てに対しては四倍にして返すことを宣言しました。ザアカイがクリスチャンになった瞬間です。クリスチャンは皆、彼のように罪を悔い改め、罪の行いから解放され、生きるべき最良の道を見出し、その道をイエスと共に歩んでいくのです。ザアカイは自分の罪を悔い改め、彼が生きるべき最良の道、すなわち、人から奪い取る人生から人に与え尽くす人生を歩む決心をしたのです。

イエスがザアカイの名前をコールされたように、神の御許から離れたあなたの名前を呼んでおられます。それは、あなたが罪を悔い改めて救われ、神があなたに備えられた最良の道を生きるためです。あなたにはイエスからのコールが聞こえますか?イエスは御言葉を通して、いつもあなたに語りかけておられます。イエスの声に応答して、イエスと共に最良の道を歩もうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユーカリ、オリエンタルユリ(マンボ)、ヒマワリ、トルコキキョウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、中華丼、冬瓜とベーコンのスープです。冬瓜は下茹でしてあり、お当番さんの心遣いが嬉しい一品です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。

教会員のペットをご紹介します。
N家のプチモくん、ロングコートチワワ、♂、14歳。性格はおとなしくビビりさんですが、過去の大病を、飼い主の祈りによって見事克服した経験の持ち主です。ハレルヤ!

2018年8月26日 主日礼拝メッセージ

「絶望が希望に、災いが祝福に」 エレミヤ書29章10節~14節  金田洋介牧師

この箇所はとても有名な箇所で、特に11節の「あなた方のために立てている計画…それは災いではなくて、平安を与える計画…将来と希望を与えるものである」の御言葉に、誰もが慰められ、力づけられてきたと思います。誰でも、穏やかで平和な毎日、明るい未来を願います。それこそ、神の計画が災いではなく、将来と希望を与えるものであるなら、それほど嬉しい話はありません。しかし、現実は甘くはなく、思いもよらないトラブルに見舞われることがありますし、「災いだ」とまではいかなくても、「不幸せだ」と呟くばかりの毎日に疲れを覚えることがあるのではないでしょうか。人生は悩みと不安の連続で、それは神を信じるクリスチャンであっても例外ではありません。そのような現実に、神の御言葉が虚しく思えてしまいます。実は、この「将来と希望を与える」という恵みの約束は、私たちが何の苦しみも、不安も、痛みもない人生を過ごすことができることを保証するというものではありません。本来、この御言葉は、バビロンに国を滅ぼされ、バビロンに補囚された、まさに絶望のどん底にあるイスラエルの民に向けて語られた言葉です。しかも、彼らの国が滅び、補囚されたのは、度重なる神に対する背信の罪が原因でした。それにもかかわらず、神は補囚民に対して将来と希望の約束を与えられたのです。神は70年という長い補囚の時間をかけて、イスラエルの民とご自身との関係の回復を導かれました。民は絶望の中で「神を呼び求め祈ること」と「一心に神のみを尋ね求めること」の大切さを改めて学び、約束を全うされる神の愛と真実を体験したのです。

私たちもこのお方を神として信じているのですから、悩み、苦しみ、行き詰まりや不安、不幸としか思えない人生の出来事の背後に、神のご計画があることを信じようではありませんか。 私たちの身に起こる全ては、私たちが神だけを呼び求め、神だけに祈り、神の御心と御言葉に心から従うものとなるための、神の愛の取り扱いなのです。そして、忘れてはいけません。私たちに対して立てておられる神の計画は、決して災いではなく、将来と希望を与える計画、恵みの約束であることを。神を一心に尋ね求めるなら、絶望が希望に、災いが祝福に変わるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花はゆり(カサブランカ)、けいとう、オンシジューム、ユキヤナギです!、