説教要旨」カテゴリーアーカイブ

2018年3月25日 主日礼拝メッセージ

「十字架の上のイエス」  ルカによる福音書23章32節~49節   金田洋介牧師

今年も受難週を迎えました。受難週は私たち一人一人の罪の為に十字架へと向かわれたイエスの受難を深くを覚える大切な時です。本日は特に十字架の上のイエスの姿から学んで参りましょう。

第一に、十字架の上で祈られたイエスの姿です。イエスは十字架の上で七つの言葉を語りました。その最初の言葉は「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。(34節) これは神への祈り、しかもイエスを十字架へと追いやり、イエスの心と体を痛めつけた者たちの為のとりなしの祈りでした。さらにこの祈りは、神に、イエスに、周囲の人々に罪を犯していながら「わからずにいる」私たちに対する祈りでもあるのです。

第二に、神の御心に従順であられたイエスの姿です。十字架の上のイエスに向かい「自分を救ってみよ」と罵る者たちがいました。この言葉はイエスにとって大きな誘惑でした。何故なら、神の御子イエスにはそれが容易にできたからです。しかし、十字架から降りるということは、全人類の罪の身代わりになるという神の御心に背くことになってしまいます。イエスは愛する神の御心に従い、また、愛する私たちのために十字架の上で苦しまれたのです。

第三に、罪を許す権威を持つイエスの姿です。十字架の上のイエスの姿を見た犯罪人の一人は、イエスの正しさと自分の犯した罪を認め、イエスこそ来るべき救い主であることを告白しました。イエスは彼の信仰告白を聞かれ、罪の赦しと救いを宣言されました。イエスこそが罪を許す権威を持っておられる神の御子であり、神ご自身です。

十字架の上でイエスは、私たちの罪の為に苦しみ、悶えられ、神に捨てられるという絶望を味わわれました。神の御子イエスを十字架につける程に私たちが罪深いこと、このイエスの犠牲によって私たちが救われたことを心に深く覚え、心から感謝しましょう。『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』

3月18日と25日の講壇のお花、愛さん会メニューの写真をお載せします。

3月18日のお花はゆり、レンギョウ、アルストロメリアでした。

3月25日のお花は、やまぶき、きく、アルストロメリアでした。

3月18日の愛さん会メニューは、シチューオンライスでした。東京から帰省した大学生のお土産もありました。

3月25日の愛さん会は、進学・進級バーベキュー会でした。3月とは思えない暖かい(暑い?)日差しの中での、楽しいランチタイムでした。

2018年3月11日 主日礼拝メッセージ

「恐れることはない、ただ信じなさい」 マルコによる福音書5章21節~24節、35節~43節

ヤイロという会堂管理人が助けを求めてイエスの許にやって来ました。彼には病で死にかけている娘がいました。ヤイロは「娘に手を置いてくださればいやされる」と半ば強引にイエスを連れ出します。彼の必死な思いは理解できます。しかし、イエスの力を信じつつも、「イエスが来てくださらなければダメだ」と彼自身の中で無意識にイエスの力を制限してしまっています。福音書に出てくるある信仰者は、「イエスの言葉だけいただければそれで十分です」と告白し、その信仰の通りになったことが記されています。ともすれば、私たちの信仰もヤイロのようにイエスの御心を無視して、自分の思いや都合ばかりをぶつけているような信仰かもしれません。問題が大きければ大きいほど、切羽詰まった状況に追い込まれれば追い込まれるほど、神がどのように思い、どのような計画を持っておられるのかなど、考えられないのが私たちの姿ではないでしょうか。しかし、ヤイロの精一杯の信仰と、必死な叫びにイエスは応えてくださったのです。イエスは憐れみ深いお方です。

ところが、家に向かう途中で娘の死を知らされ、ヤイロは絶望へと追いやられます。しかし、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい。(今、恐れるのを止めて、信じ続けるのです)」とヤイロの信仰を励まされました。イエスは信仰を励まして下さるお方です。

すでに死んでしまったヤイロの娘。泣き悲しむ人々の姿がヤイロの信仰を再度揺さぶります。 しかし、イエスは彼女を眠りから起こすように生き返らされたのです。イエスにできないことはありません、イエスは全能のお方なのです。

イエスはヤイロに寄り添い、深く憐み、信仰をを励まし続け、その全能の力をもって彼の娘を甦らせて(救って)下さいました。ここにイエスを信じることの素晴らしさを思わされるのです。すぐに疑い、呟き、諦め、信じることを 放棄してしまう私たちにイエスは「恐れることはない、ただ信じていなさい」と言って下さいます。このイエスの言葉を信じ抜いた先に、神が私たちの現実に生きて働いておられることをハッキリと体験できるのです。恐れずに信じ続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、啓翁桜(けいおうさくら)、金魚草、カサブランカです。

 

2018年3月4日 主日礼拝メッセージ

「ルツの生涯~ 呪われた民から救い主の系図へ~」 ルツ記4章13節~17 節 金田洋介牧師

Ⅰ.ルツの婚活 ~ナオミに従うルツ~(3章)
ナオミはイスラエルの神を信頼し、また自らを慕ってついて来たモアブ出身の嫁ルツの幸せを願い、ボアズとの結婚を勧めます。彼女がそう考えたのは、ボアズが夫エリメレクの土地を「買い戻す権利」を持つ、有力な親戚の一人だったからでした。「買い戻す」とは、神がイスラエルの民それぞれに割り当てられた土地が持ち主の手から離れ、さらに持ち主が買い戻せない場合、持ち主に一番近い親戚が代わりに犠牲を払って(贖って)買い戻さなければならないという神の命令です(レビ記25章23節~25節)。ルツはナオミの指示に忠実に従い、ボアズに「買い戻しの権利」があることを伝え、ルツ自身も含め、全てを神の判断に委ねました。

Ⅱ.ボアズの買い戻し(贖い)
ボアズは自分よりもエリメレクに近い親戚に「買い戻し」の責任を果たすかどうかを確かめます。その親戚は買い戻す意思を見せますが、モアブの女ルツを妻として迎え、彼女の夫マロンの名とその土地を残すまでの責任を負うことはできませんでした。一方ボアズは、大きな犠牲が伴いつつも親戚としての義務を果たすことと、ルツを妻として迎えることを宣言したのです。ルツはイスラエルの民として生き、割り当て地をその子孫に継承できる身分をいただいたのです。

Ⅲ.呪われた民から救い主の系図へ
ルツの先祖モアブの民はイスラエルを呪う事により、神の民の集会や関わりから断絶されました(申命記23章3節~4節、民数記22章~24章、創世記12章3節 )しかし神は、ボアズを通してモアブ人ルツを贖い、彼女は呪われた民から神の民とされ、さらには救い主の系図に加えられます(マタイ1章)。そして、彼らの子孫からダビデが生まれ、救い主イエスが誕生するのです。

神はルツの生涯を通してどのような人でも救われる望み、神の民となる恵みが与えられることを教えています。神は、今を生きるあなたのために、神の御子イエスの命を犠牲としてあなたを贖い、罪と滅びから救い、神の国の民としてくださいます。『主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます。』

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、コデマリ、スターチス、オリエンタルゆり、カーネーションです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ごはん、ふりかけです。料金は大人250円、中学生150円、小学生100円です。初めての方は無料です。(^_-)-☆

 

2018年2月25日 主日礼拝メッセージ

「ルツの生涯~ 御翼の下に身を寄せて~」 ルツ記2章1~13節 金田洋介牧師

1.愛を動機として生きたルツ
ルツは姑ナオミと共にナオミの故郷へとやってきましたが、二人の現実はとても厳しいものでした。ルツは糧を得るために、畑に落穂拾いに出かけます。一人分を拾うだけでも大変な上、彼女はモアブから来た身ですから不安もあったでしょう。しかし彼女は、愛する姑ナオミの為に立ち上がったのです。この愛を動機とした彼女の行動に神は報いられ、ナオミの夫エリメレクの親戚であるボアズの畑へとルツを導かれます。神の深いご計画の始まりでした。

2.今できることに忠実に生きたルツ
辛く地道な労働にもかかわらず、ルツは朝から少しも休まず懸命に仕事に励みました。すると、畑の主人ボアズの目に留まります。ボアズはルツが置かれている状況を知りました。また、彼女の忠実な姿勢に心を打たれ、彼はルツに親切を尽くしたのです。誰が見ていなくても、忠実に生き、誠実に歩み、精一杯の努力を尽くす行いを神は見ておられるのです。

3.周囲に対して謙遜と感謝を持って生きたルツ
ルツはボアズの親切に対して心からの感謝を表しました。彼女は自分の身をわきまえつつ、受けた親切と与えられた行為に対する感謝の思いでいっぱいだったのです。ボアズは神の御翼のもとに身を寄せたルツの祝福を祈りました。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを用意しておられる方です。

4.神を信じ信頼して行きたルツ
神は愛を動機とし、忠実に、謙遜と感謝に生きたルツを祝福されました。しかし彼女の祝福は、ナオミが信じた唯一真の神を「私の神」と告白し、信頼する決断をした瞬間から始まっていたのです。
神の御翼のもとに身を寄せた(神を信頼して全てを任せた)ルツのように、あなたもあなたの人生の全てを唯一の神にお任せしませんか?神はあなたを愛を動機に生きる者、どんなことにも忠実に、謙遜と感謝の心で生きる者にしてくださるばかりか、あなたの思いを超える恵みと祝福に与らせてくださるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、桃、ゆり、ストックです。

2018年2月18日 主日礼拝メッセージ

「神を捨てる民、民を捨てない神」 士師記2章6節~23節  金田洋介牧師

ヨシュアの次の時代は、さばきづかさと呼ばれる士師たちの時代です。カナンの地へと踏み入れたイスラエルは相続地を得ますが、攻め取る地はまだ残っており、戦い続けなければなりません。ところが、ヨシュアや彼と共に神のみわざを見てきた長老たちが召されると、民は神の命令に背き、その地に住む人々と共存するという誤った選択をしてしまいます。かつて神がヨシュアを通して警告していたように(ヨシュア記23章13節)、これがイスラエルにとって「罠」となります。

Ⅰ.神を捨てる民

イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、他の神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起こした(11~12節)。神の命令に従わず、そして、かつて申命記(6章4~9節)において与えられた戒めや教えに対する不徹底が苦境を招き、民は「その敵に立ち向かうことができず…ひどく悩まされ」てしまいます 。(14~15節)

Ⅱ.民を捨てない神

 自業自得のイスラエル。しかし、神は民を見捨てません。その時主はさばきづかさを起こして、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された(16節)。 神は士師を遣わし、民を救ってくださったのです。ところが民は、他の神々を慕い偶像礼拝を止めません。士師がいる間は神に仕え、士師が死ぬと再び神に背くのです。この神のみことばとご命令に対する妥協と曖昧な生き方が、民を苦悩と苦境へと追い詰める結果になるのです。しかし神の愛は、イスラエルの民がどんなに背いても見捨てず、憐み、やがて御子イエスの血で贖い救ってくださったのです。

イスラエルの民の姿は他人事ではありません。私たちも自らの信仰生活を顧みたいのです。 悪魔は私たちを神の許から引き離そうと試みてきます。御言葉に対する不信仰、不徹底、妥協へと誘うのです。しかし、どんなに悪しき力が働いても、キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできません。御言葉を信じ、神の愛に、イエスご自身に、御霊の助けによって留まり続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、アマリリス(シンコーレッド)、ストックです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(楽しく美味しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライスとお漬物です。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

2018年2月11日 主日礼拝メッセージ

「我が家と我は主に仕える」  ヨシュア記24章1~24節  金田洋介牧師
モーセの後継者としてイスラエルを導いてきたヨシュアも老人になりました。彼の人生はまさに戦いの人生でしたが、神が彼と共におられたゆえに勝利することができました。部族ごとに相続地を割り当てたヨシュアは、自分の使命が終わりに近づいていることを悟り、全イスラエルを呼び集めて神の言葉を告げました。神はヨシュアを通して、イスラエルの歴史においてなされた神のみわざを振り返らせます。アブラハムをその父テラのもとから連れ出し、真の神に仕える者としてくださり、彼の子孫を増し加え(2~4節)モーセとアロンを遣わし、数々の奇跡の業でエジプトを脱出させ(5~7節)ヨルダン川東岸における戦いに勝利を与え(8~10節)ヨルダン川を渡らせ(11節 )約束の地征服について(11~13節)語られました。イスラエルの歴史から、彼らの勝利と成功が一つとして彼ら自身の力によってもたらされたものではないことがわかります。ヨシュアはこれらのことを踏まえ、イスラエルの民に決断を迫ります。『いま、あなた方は主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって主に仕え、 他の神々を除き去って、主に仕えなさい。もしあなたがたが主に仕えることをこころよしとしないならば、… あなた方の仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、私と私の家とは共に主に仕えます。』(14~15節 )ヨシュアは誠実の限りを尽くしてくださった神への真摯な応答を民自身の選択と決断に委ねつつ、彼自身の決断を明確にしました。神は「きょう、何に仕えるか」を私たちに迫っているのです。

すでに私たちもアブラハムのように偶像礼拝の中から救い出され、真の神を礼拝する者とされましたが、神がヨシュアを通して「きょう」仕える方を決断するよう迫られたように、私たちも常に「きょう」という日に、信じ仕えるべき方を告白し続けるように迫っておられます。神の御力を目の当たりにしながら神に背き続けたイスラエル、イエスの御側にいながら彼を裏切ってしまった12弟子の姿を私たちは知っています。「自分は大丈夫」ではなく、主にあってこそ「我が家と我は主に仕えます」と日々新たな思い出告白し続ける者とならせていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、キイチゴ、テッポウユリ、ストック、スプレー菊、金魚草です。

礼拝後には、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週は礼拝後に教会総会があり、時間短縮のためお弁当を注文しました。たまにこういう日があります。

2018年2月4日 主日礼拝メッセージ

神の方法神への応答  ヨシュア6章1~20節  金田洋介牧師

神の助けによって無事にヨルダン川を渡ったヨシュアたちイスラエルの民。神が与えると約束してくださったカナンの地を獲得していくためには、まず強固な壁に囲まれたエリコを攻略しなければなりません。難攻不落のエリコの城壁を打ち破るために、神がイスラエルに与えた方法はあまりにも意外な方法でした。

Ⅰ.神の方法

エリコ攻略の方法とは、一日一回、エリコ城壁の周囲を一周回ることを六日間続け、七日目は周囲を七周し、合図とともに大声で叫ぶというものでした。そうすれば城壁は直ちに崩れ落ちて攻め上ることができる(5節)というのです。さらに、合図の時まで声も出してはいけません。「こんなことに何の意味があるのか」と呟いてもおかしくありませんが、誰にでもできる方法でもあります。

Ⅱ.神への応答

ヨシュアを通して告げられた神の方法に対する民の応答は、神の命じられた通りに実行するということでした。彼らは、傍からみたら「無意味なこと」としか思えないような方法に忠実に従ったのです。一日目、二日目…いよいよ七日目を迎え、七週を回り終えた民は、ラッパの響きとともに皆大声で叫びました。すると町の石垣は崩れ落ち、民は町を攻め取ることができたのです(19節)。全て神が言われた通りになり、イスラエルはまた、神の御力を体験したのです。神がエリコ攻略のために示されたユニークな方法に、どうしても興味がひかれがちですが、神の方法(み言葉)に忠実に従う姿に学びたいのです。神は私たちの日常生活のあらゆる課題、問題に対して勝利することができるように、神の方法を示して下さいます。エリコ攻略の方法は信仰と忍耐さえあれば、ある意味容易に実行できます。そのように、神はできないような方法を私たちに示されません。神の方法が難しく感じるのは、私たちの側に原因があるからではないでしょうか。神の方法は常にあなたの前に開かれています。呟かず、疑わず、信じて従おうではありませんか。信じて従った先に、神の大いなる御業を見るのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、マトリカリア、カラー、オリエンタルユリ、ストック、ねこやなぎです。

 

2018年1月28日 主日礼拝メッセージ

「神を信じて踏み出すなら」 ヨシュア記3章1~17節  金田洋介牧師

神の命令によって立ち上がったヨシュア。しかし約束の地に入るためには、ヨルダン川を越えなければなりません。3章はヨルダン渡河の記録です。

宿営していたシッテムからヨルダンに進んできたイスラエルの民。カナンの地は対岸に見えますが。増水したヨルダン川は容易に渡れる状態にありません。

三日後、ヨシュアは神の命令に従い、民がするべき行動を命じます。まずは契約の箱を担ぐ祭司たちが川に進み行き、その後を民がついて行きます。しかし、ヨルダン川を渡ろうにも川に変化は見られません 。ヨシュアは続けて民に語ります。「全地の主なる神の箱をかく祭司たちの足の裏が、ヨルダンの水の中に踏みとどまる時、ヨルダンの水は流れをせき止められ、上から流れ下る水はとどまってうず高くなる。」(13節 )かつてエジプトを脱出した時、神が紅海を分けられたことと同じように、神はヨルダン川を渡らせてくださるというのです。ところが話しは容易ではありません。紅海を渡った時は、紅海が別れてから踏み出しましたが、ヨシュア一行がヨルダン川を渡るためには、激しく流れるヨルダン川の状況が変わらないまま、足を踏み入れなければならないのです。すでにヨシュアたちは神の御言葉の約束をいただいていますが、これは大きな試みです。しかし、彼らは神の御言葉の約束を信じて立ち上がりました。そして、契約の箱を担いだ祭司たちの足が激しく流れるヨルダン川に踏み出した瞬間、奇跡は起こりました。神のお言葉通り、ヨルダン川は上流でせき止められ、民は皆乾いた川底を歩いて渡りきることができたのです。

このヨルダン渡河の記録は、神の御言葉を信じて踏み出した先に、神の御業を体験できることを私たちに教えています。今直面している問題や課題の解決が見えなくても恐れるには及びません。あなたの前には神が備えられた救いの道が確かにあるのです。神を信じ、神の御言葉に従い、一歩踏み出したその先に、あなたと共に生きておられる神の御業を見ることができるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、すかしゆり、ストック、スターチス、アイリス、ねこやなぎです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛餐会(楽しく美味しいランチタイム)をもっています。
今週のメニューは、炊き込みご飯、わかめスープ、野菜のポン酢漬けです。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。
また、初めての方も無料です(^▽^)/。

2018年1月21日 主日礼拝メッセージ

「強く、また雄々しくあれ」 ヨシュア記1章1節~9節 金田洋介牧師

ヨシュア記1章は、偉大な指導者モーセの後継者としてイスラエルのリーダーとなったヨシュアの出発点となる重要な場面です。

Ⅰ.ヨシュアの人物像

いよいよ表舞台に立つヨシュア。ヨシュアのこれまでの活躍は「アマレクとの戦い(出エジプト記17章8~16節)」、「約束の地カナンの探索(民数記13章)」が主にあげられるように、若い時からモーセの従者(民数記11章28節)」として歩んできました。「神の霊(民数記27章)と知恵の霊(申命記34章)」に満ちた人物であったと記されていますが、私たちと同じように不安や恐れを抱く一人の人間でした。

Ⅱ.ヨシュアの使命

2節「…今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。」とあるように、ヨシュアの使命とは民を率いてヨルダン川を越え、約束の地へと足を踏み入れることでした。約束の地は「既に与えられている(新改訳2017)」と言われるのです。しかし、これは大きなチャレンジです。ヨルダン渡河はもちろん、渡り切ったとしても多くの敵が待ち構えているのです。

Ⅲ.ヨシュアへの励まし

聖書は彼の心境を何も記していませんが、「強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない」との言葉が繰り返されていることから、彼の心の内が伺えます。あのモーセの後継者ですから、プレッシャーを感じないはずがありません。その上、イスラエルの民の不信仰を見てきたのですから無理はありません。しかし神は、「共にいて、見放さず、見捨てない」とヨシュアを励まし、神の御言葉を信じ、従い抜いた先に勝利があることを教えられたのです。優れたリーダーのヨシュアであっても、今日の私たちのように不安と恐れを心に抱いていたことがわかりました。同時に、勝利の秘訣も明らかにされました。それは、共におられる神を信じ、神の御言葉に従うことです。疑わず、諦めず、ただひたすらにこの一時に努めるなら、ヨシュアと同じ確信を掴めるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、モンステラ、トルコキキョウ、アルストロメリア、カラー、マトリマリア(白い小花)です。

礼拝の後、ほぼ毎週愛餐会(楽しく美味しいランチタイム)をもっています。
今週のメニューは、豆乳鍋、キャベツと大豆のボイルドサラダ、ごはん、メロン(献品)です。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。
また、初めての方も無料です(^▽^)/。

2018年1月14日 主日礼拝メッセージ

「見よ、わたしは新しい事をなす」 イザヤ書43章19節 金田洋介牧師

中心聖句の19節はとても有名な御言葉であり、年の初めに語られることの多い御言葉ですが、その背景を知ることによってより深く味わうことができます。

40章以降はイザヤの晩年の時代でアッシリア帝国の全盛期。この時バビロンはまだ小国でした。しかしイザヤは、将来強大になったバビロンによって南王国が滅ぼされ、捕囚されることを予言し(39章)さらには、そのバビロンも「私は人をバビロンにつかわし、全ての貫の木をこわし、カルデアびとの喜びの声を嘆きに変わらせる。(43章14節)」とありますように、神によって裁かれ、滅ぼされると告げられたのです。そして神は言われます。18~19節。

「あなたがたは、さきのことを思い出してはならない、またいにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」 「さきの事」「いにしえの事」とは16~17節の言葉によって出エジプトを想起させているように、かつて神がなされた大いなる御業、奇跡の業のことです。ここで神は、出エジプトの出来事だけで神の御業が終わったわけではないことを民に知らせるため、そしてこれから神がなされることは、不可能と思うようなこと、これまで経験しなかったような新しい御業であること、を告げられたのです。さらに主なる神がイスラエルを選ばれたのは、彼らがどの民よりも優れていたからではなく、「わが誉を述べさせるため(21節)」、すなわち、全ての創造主である神の栄光を全世界に宣べ伝えるためだと告げられました。

今日、私たちは出エジプトやバビロン捕囚からの救いに勝る、罪と死との滅びからの救いを得ました。これこそ神がなされた奇跡の御業です。神のひとり子イエスを犠牲にしてまであなたを愛し、あなたを救われた神に日々期待して歩みましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユキヤナギ、オリエンタルゆり、カラー、ストック、菜の花です。