友よ! あなたがこの一事を知るならば!!

自分を憎み十字架につけた人々にさえ、神の赦しを祈られたキリストの愛!あなたがこのお方を知るならば……、あなたは変わることができ・・・・・・・・。私はただただこの一事伝えたくて、19歳で主に召されてから今日まで70年、一日も忘れることなく生きてきました。 2018年12月2日 主の復活を記念する日に。
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書23章34節)

日本はアジアの試験場

日本はアジアの試験場なり。あたかもギリシアがヨーロッパの試験場なりしがごとし。
ヨーロッパの未来がギリシアによりて決せられしがごとく、アジアの未来は日本によりて決せらるるなり。日本人の採用する制度と、その開発する宗教と哲学と芸術とが、ついに東アジア全体に普及し、永くその模範となりて、人類半数以上の運命を支配するに至るは、ソロン、フィジアス、プラトー(立法家、彫刻家、哲学者)らの事業が西洋文明の基礎を定めしがごとくなるべし。よって知る、吾人(わたしたち)日本人の責任は、わずかに同胞4千万人の安全幸福にのみとどまらずして、ヒマラヤ山以東に住する蒼生(人々)5億余(現在30億人以上)の将来に関するものである。この重大の責任あるを知る者にして、いかでか軽佻浮薄なるをえんや(うわちょうしで、あさはかなこと)
内村鑑三著、「一日一生」11月29日より

主に在る友に助けられて、やっと「ホームページ」を続けられるようになりました。これからはできるだけ、日毎に主の御言葉の恵みを一人でも多くの方々と分かち合いたく思います。あと4ヶ月で90歳になる私ですから、何事も思うようにできなくなりましたので不都合、その他の誤りなどお許しください。主に在る方々の助けを頂けるならば有り難く思います。

健康長寿の一番の要素!は、食事・運動ではない!

10月13日21時NHK スペシャルでの番組で、健康長寿に一番大切なものは「読書」であることが分かったというものでした。AIが導きだしたものでした。私はこれを60年以上毎日続けてきたことを思い感謝に堪えません。しかもそれは「聖書」ずっと毎日30分~1時間読んできたのです。聖書は毎日何十年読み続けても飽きるるどころか、日々に新たな感動とインスピレーションを与えられるのです。

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。ヘブル13:8 

69回目の記念日!

7月10日は私の69回目のバプテスマ記念日!
今かから69年前の今日、私は生涯を主に捧げる思いを抱いてバプテスマを受けたのです。私が20歳の時でした。それからほとんど70年、私は変わることなくキリストの愛と、十字架の福音とを伝えることにすべての犠牲を惜しみませんでした。そのためには家族に多くの犠牲を強いえてきたことも知ります。時にはそれは失敗ではなかったかとの思いを抱くこともありました。しかし、すべてをみそなわし、ご存知の主は御心に留めてお許しくださると思います。残された日々、主が許して下さる日まで、同じことを続けます。なぜならば、

 わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだか らです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。(コリント第一9章16節)

ヨルダン川ヤルダニッド洗礼所
ヨルダン川ヤルダニッド洗礼所

もしもキリストが、見守って下さらなかったら

私も守って下さらなかった、私は罪の深みに溺れて死んでしまっていたことであろう。キリストは過ぎ
し30年を私を守りただしました。主は私の良い羊飼いでです私も主牧場の中で一頭の小さき羊であることを許されたのである。私は主羊飼いの御声を知り、その御声だけにしたきた(ヨハネ
私も私の家族も共にサタン(悪魔)の餌食となってしまっていた10:1〜18、特に4節と11節参照)。でも良い羊飼いが私を見守って下さらなかったならば、あろう。そうしてとうの昔に、滅びてるしまってるいかたことかで
あろう。私は、主と主の御名とは限らないほめたてる。アーメン。
(これは今から40年前、私が月刊「聖書の友」に載せたものである。今日はばしば色々な誘惑に負けてしまった人の見聞きするとき、キリスト によって生きる人生を送るならサタンの餌食にならないでむむのに思って得ることなく)。

If Christ Had Not Rescued Me

If Christ had not rescued me, I would have drowned in the depth of sins.
He has guided and led me for these thirty years. He has been my good shepherd and I have been His little sheep in His pasture. I have heard His voice and I have followed Him (John 10:1~18 specially vv.4,11).
If the Good Shepherd had not watched over me, I and my family would have been a prey to Satan and perished long ago. I praise the Lord. (from my monthly book・let ‘Friend of the Bible’(Nov. 1978)
(I wrote this 40 yewars ago, I am still in His pasture, so I am safe.)

信仰によって

なぜなら、神から生まれた人は皆世に勝つことができます、そして、この世に勝たしめてくれるものは、私たちの信仰なのです。即ち、イエスは神の子であると信じる人以外に世に勝てる人はいません。(ヨハネの第一の手紙5章4節、5節)
しかし、愛する皆さん。あなたがたは聖霊によって祈りつつ、あなたがたの最も聖なる信仰の上に、あなたがたを築きあげて下さい。永遠の命へと導いて下さるあなたがたの主、イエス・キリストの憐れみを求めつつ、あなたがた自身を神の中にしっかり置くように努めなさい。(ユダの手紙20節、21節)「以上福田私訳」

聖書はなお未完の書

その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。(コロサイ1:26~28節) 

聖書は大なり、されども生けるキリストは聖書よりも大なり。われらもし聖書を学んで彼に接せざれば、われらの目的を達せりというあたわず。聖書は過去における生けるキリストの行動の記録なり。しかしてわれらは今日彼の霊を受けて、新たに聖書を作らざるべからず。古き聖書を読んで新しき聖書を作らざる者は、聖書を正当に解釈せし者にあらず。聖書はなお未完の書なり。しかしてわれらはこれにその末章を作るの材料を供せざるべからず。今より100年以上も前、内村鑑三先生の「一日一生」より

エルサレム 死海写本館
エルサレム 死海写本館
カイザリア 導水橋にて
カイザリア 導水橋にて

But Your Will Be Done!

On the day before Christ was crucified, He was prayng to God.
Then he went off from them about the distance of a stone’s throw and knelt down and prayed.
“Father,” he said, “if you will, take this cup of suffering away from me. Not my will, however,
but your will be done.” 
(Luk22:41,42)
And next morning at about 9 o’clock, He was nailed to the cross as a sinner. God’s will was not to save Him from the suffering of the cross. God cursed him instead of our sin. By doing this God opened the way for every one of us, if we believe in Christ to become God’s children.
It is amazing grace that saved a wretch like me! Yes, everyone ought to know what Jesus did for us. When one recieves this grace, he or she, everyone will be competely changed as a new born being. That is a true God’s child.

ゲッセマネの園で
ゲッセマネの園で
オリーブの老木
オリーブの老木
ゴルゴダの丘
ゴルゴダの丘

The Wind in May

2003年4月9日撮影
2003年4月9日撮影
2003年4月9日撮影

1.Young leaves rustle in the wind, Singing “Sa Sa Sa” with May wind.
Overflowing with new life, Bright morning in early summer,
Praising the name of the Lord, singing His glory.

2. Lovely flowers are swaying in my garden, Giving out fragrance “Ra Ra Ra” in May wind.
Overflowing with sweet smells ,Sunny afternoon in early summer,
Praising the name of the Lord, singing His glory.

3.My heart feels in the wind, Being filled with the Lord’s Spirit,
Overflowing with heavenly grace, Calm evening in early summer.
Praising the name of the Lord, singing His glory.

I like green leaves in early May,It’s soft, so soft and tender to my eyes.It’s full of new life.
My heart becomes so much comforted, May is the month of the new spirit.
Pentecost soon comes that opens my eyes in the heart, So that I’ll be able to see the holy plan of God.

The above was in the monthly booklet of [The Friend of the Bible] in 1999 May.
I was serving a local church in Tokyo.

裏山
裏山

5 月 の 風(霊)
1.5月の風に そよぐ若葉はさささ、さささと歌いつつ 命溢れる 初夏の朝 御名をたたえん さんびせん
2.5月の風に ゆれる花々 ららら、らららとかぐわしい 香り溢れる 初夏の昼 御名をたたえん さんびせん
3.5月の風に ふれる心は 主の聖霊に満たされる 恵み溢れる 初夏の夕 御名をたたえん さんびせん アーメン
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。(ヨハネ3:8)
私は5月初旬が好きです。木々の柔らかいもえ木の葉が目に優しく映ります。ギリシア語では「風」と「霊」は同じ単語です。pneuma(プニューマ)と言います。私が毎日聖書を読み、思索し、注解書を書いている所は上に記した様な所です。木々の枝でそよ風が「さささ、さささ」とささやきます。花壇にはかぐわしい花々が咲きこぼれています。裏山の雑木林では小鳥たちがさえずっています。
5月の風は、時には「さささ」と、時には「そよそよ」と私の全身に触れます。ペンテコステ(聖霊降臨節、今年は5月20日)も間近です。「聖霊」(ハギオス プニューマ)という風がいつも吹いて、私の全身に注がれている限り、私は汚れた空気(不義、不正、争い、怒り、利己心、泥酔など)から守られています。1日も早く、日本全体を覆うこれらの汚れを吹き消す霊風が吹きますように!
以上は 私が発行していた月刊誌「聖書の友」1999年5月号の巻頭に載せたものから、転用しました。
上記は「月刊誌 聖書の友」1998年9月号から転載