SATTE CHURCH HOMEPAGE

2020年3月22日 「わが神、わが神、どうして」 

                    マルコ15:33-41


 罪の無いイエス様が罪びととなって神の裁きに
会われました。私たち罪びとの身代わりとして
罪を負われたイエス様は、私たちが神から
見捨てられないように神に見捨てられました。
ここにイエス様の十字架による救いがあるのです。

 イエス様は十字架上で「わが神、わが神、
どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(34節)
と叫ばれました。この叫びは本来、私たち一人一人
が肉体の死後に神の裁きに会って叫ぶ言葉です。
その証拠に、イエス様は神を「わが父」とは呼ばず、
「わが神、わが神」と絶叫されました。

 「どうして」とは罪なきイエス様が神からも人からも
捨てられ、十字架で裁かれる矛盾と目的とを私たちに
投げ掛けている言葉です。
 イエス様の十字架は何のためでしょう? それは
私たちを滅びに行かせまいとする神の愛のゆえです。

 このイエス様を信じるならば、その人は神の審判に
立つ時でも、まるで罪の無い者としてそこを通り抜ける
ことが出来ます。そして永遠のいのちが与えられます。

 「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38節)
のは、神と人との間を遮断していた私たち人間の「罪と
いう仕切りの幕」が、イエス様の十字架によって取り
払われたことを意味します。その結果、神と人との関係が
正しく回復し、お交わりが出来るようになったことを
指しています。