SATTE CHURCH HOMEPAGE

2020年4月19日 「イエス様に目を開いて頂く」 ヨハネ20:14-18



 復活されたイエス様が最初にご自身を現わされたのは、
マグダラのマリヤでした。なぜ彼女はイエス様の復活を
目撃するという栄誉に与かることが出来たのでしょうか。
 彼女はイエス様の体が納められたお墓が空っぽに
なっているのを確認しても、そのまま家に帰ることが出来
ませんでした。彼女は墓のそばで泣き続けていた。
 イエス様は涙を流してご自身を慕い求める者を決して
おろそかにはなさりません。イエス様は彼女の切なる
求めに応えて下さったのです。

 しかし、マリヤは復活されたイエス様にお会いしても、
それがイエス様だとは分からず園の管理人だと思い
ました。生前と復活後ではイエス様のお身体が違っている
からでしょう。
 イエス様が「マリヤ」(16節)と声を掛けられると、彼女は
イエス様だと気づきました。そして「ラボニ:私の先生!」と
返事をしました。現代の私たちもイエス様に目を開いて頂か
ねば、たとえイエス様と出会ったとしてもそれを認識できない
者なのです。

 マリヤがイエス様にすがりつこうとすると、それはよしなさい
と言われました。まだイエス様が父なる神の御許に上って
いないからだと理由を述べられました。そのことを弟子たちに
伝えるようマリヤに命じられました。彼女は確かにイエス様を
慕いつき従っていましたが、人間的な愛情の関係に留まった
ままでした。そうではなく、より高い霊的な関係に引き上げ
なければなりません。イエス様が父なる神の御許に上られると、
今度は助け主として聖霊が与えられることが予告されていた
のです。

 イエス様はもはや「ラボニ:私の先生」ではなく、「復活された
救い主」でした。科学が発達した現代においても、私たちは
死に対して無力です。愛する者の死の現実を前にマリヤと
同じように泣くしか出来ない者です。しかし、イエス様はこの
死という巨大な岩を打ち破って復活して下さいました。イエス様
の復活を世界で最初に目撃した証人として、彼女は弟子たちの
もとへ遣わされました。

 私たち一人一人もマリヤと同じように、きょう聖書を通し
イエス様から名前を呼ばれています。皆さんは何と応答される
でしょうか。それが神と自分(私)という人格の交わりであり、
信仰の原点なのです。イエス様は復活の新しい命を私たちに
与えんとしております。それは信仰を通して受けることが出来る
のです。