御霊による究極の捧げ物としての十字架へブル9:11-14
主の十字架を思う時イエス様が苦しみを受けられ、すべての恥も一心に背負い歩まれた姿を思い起こします。そしてこの出来事が自分自身の救いのためであったと信じることは聖霊の働きによるものであることが聖書で記されています。そして助け手として与えられている聖霊様の働きは救いのみに留まらず教会を超自然的なかたちで生み出し、宣教の働きを前進させていくことにつながりました。
そしてその実が東の果ては日本、西の果てはアメリカにまで届けられています。さらに世界の国々に福音は宣べ伝えられています。 そのすべての鍵となるのはこの十字架の出来事であり、それまでは毎年至聖所において大祭司が贖いの捧げ物を携えて儀式的になされていたものが究極的な贖いの完成としてイエス様ご自身が献げられました。そしてこのただ一度の出来事を永遠の贖いとされたのはへブル9章14節にあるようにとこしえの御霊、すなわち聖霊様によって神にささげられたのです。そしてそのイエス様の血潮は私たちを死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょうとあります。
表面的な罪の贖いから内面的な、全人格的な贖い、しかも永遠に続く贖いとしての十字架の御業が確かに私たちに与えられたのです。このイエス様の恵みを今日も信仰によって受け取り、そして主の愛のうちに新しくされ、主に喜び仕える者と変えられていきましょう。

