週報より~真理を喜ぶ者になろう~

聖書には黙示録をはじめ世の終わりに関する記述が多くあります。IIテサロニケ2章にもそういったものがありますがそこには背教が起こること、また自分こそ神であるという者が現れ、すべての礼拝されるものに反抗し自分を高くあげるもあります。またそういったものに惑わされる者が多くいること、真理を信じないで悪を喜んでいたすべての者が裁かれるとあります。悪を喜ぶとはどういうことでしょうか?それは死んだらなにもない。なにもないならどんなことをしてでも自分が楽しければいいというような刹那的な考えや自己中心的な思いから来る良心の麻痺です。私たちの心が疲れ、諦め、硬直化してしまうと本当にすさんだ状態になってしまうでしょう。そこには境遇の問題、環境の問題など外部からの問題も少なからず影響していると思います。しかし最終的に決断するのは自分自身に他なりません。いくら責任を転嫁しようとしても自分の決断であることには変わりはありません。私たちはどのような時にも真理に立ち続ける者となるべきです。初代教会も折れそうな心を互いに励まし合い、支え合い多くの艱難を乗り越えていきました。問題以上に神様に注目していました。私たちもそういった素晴らしい信仰の偉人たちに学び、そして習うべきです。惑わされることなく、イエス様から目を離さないような堅実で真理を求めそして真理を喜び、真理に生かされる者とされていきましょう。 [Read more...]

週報より~すべてに感謝することと~

聖書を読んでいく時に一見矛盾しているような記述があります。注意深く読み解いていくとどういうことなのか分かってくるのですが両極端ととれるような記載が続くことがあります。第1テサロニケ5章には有名はいつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。という箇所があります。でもその数節先にはすべてのことを見分けて、本当に良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。とあります。ここですべてに感謝ということとすべてを見分けること、ある意味疑ってかかることが衝突するわけです。悪すらも感謝すべきではないのかというのが前者を100%実践しようとしたときに起こりうる結果ですが後者は選り分ける必要があると言っています。最終的に最善を尽くそうとした結果、自分の目には悪く見えても目先の損得だけに心を奪われてしまうのではなく、そのことすら神様に感謝していく信仰が大切だということが答えとしては比較的正解だと思います。素直さと賢さを両立することが大切であるということです。私たちが自分で結果を決めつけて「もうだめだ」と言いたくなる状況があったとしてもそこに神様にある可能性や神様の視点からみたらどう映っているかと思い巡らしたりすることで私たちはもう少し視野を広げ、希望を見いだすことが出来ます。魚を食べる時に子供の時は骨が自分で取り分けることが出来なくても大人になって慣れてきたら簡単に肉と骨を分けおいしく食べることが出来るように、日常生活の中にある神様の恵みを的確に知りそしてそこから糧を得ていく時に私たちは成熟していくことが出来るのです。自分に与えられた状況、環境の中からもっと神様の恵みを見つけ感謝する者となりましょう。 [Read more...]