真理が自由にする~ヨハネ8:31-32

イエス・キリストを信じ、そのことばにとどまるなら真理を知り、真理が私たちを自由にすることについてヨハネの福音書8章に記されています。  このことばの言う自由の定義は罪からの解放です。私たちが罪、神様の思いと離れた的外れな思いや行いから自由にされるということです。罪というとそれぞれの文化や国の法律に触れることであったりしますが聖書の教えている罪とは表面に見えるものだけではなく神様は思いの中も知っておられること、また生まれながらに罪人であるという原罪についても教えています。その中には自己中心というものも入ってきます。ただこの自己中心というものがないと私たちは何かを求めたりして生存することが難しくなるでしょう。また神様は私たちに自由意志を与えてくださっています。この自由意志によって信じるという決断をし、神様の思いに従うというところに価値があるのです。  ここをクリアにしていくためにも私たちは神様に聞き従う心を持つ必要があります。もし罪の結果を除くために神様が私たちに間違った決断や行動をしないようにされたらそこには自由意志による愛の交わりはありません。つまりそこには自由はないのです。神様を自由意志を持って信じ、従っていく歩みにはこの真理を理解していくことがとても大切です。みことばによりさらに成熟した者とされていきましょう。 [Read more...]

イエス様のことばに見る真理~マタイ4:1-11

主の年2020年おめでとうございます。 イエス様が荒野でサタンから誘惑を受けられた時の対応を見る時に、私たちは聖書に書かれているみことばの正しい認識や用い方を知ることが出来ます。神様のことばは完全で私たちを生かすものですがいつも私たちに都合のいいような道が備えられているというものではありません。神様を信じる。従うということは神様との関係の回復です。そしてそのためにイエス様を救い主として信じるということが不可欠なこととしてみことばには書かれています。 そして信じる者、従う者に対して神様が恵みを注いでくださること、また最善の道を備えてくださることもまた真実です。しかしこの最善というのは神様の視点からの最善です。私たちの視点からだと思って見なかった結果だけども思っていた以上の結果というケースが多いのではないかと思います。最善は主とより近い関係になること、自分自身が霊において、また精神的にも豊かにされること、そして時として物質的、経済的にも不思議な方法で支えてくださいます。その結果の見えるところにだけフォーカスして期待しているとそこに至るプロセスの中でつまずいてしまったり、継続が難しくなったりします。みことばの全体像をしっかりと見ていく必要があります。 みことばの中にある真理をしっかりとつかんで祈りつつ備えていきましょう! [Read more...]

主に忠実な者となる~ルカ16:10

2019年も残すところわずかとなりました。この一年のすべてを主に感謝していきましょう。私たちから見て良かったことも悪かったと思えることも、まず主に感謝していきましょう。みことばに留まり、主の愛によって日々造りかえられていきましょう。主のみことばに留まること、また留まろうと努力していくことはとても大切なことです。 今年の年度聖句として小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さいことに不忠実な人は大きいことにも不忠実です。というルカ16章の箇所を掲げて歩みました。この中で小さく感じる物事は人それぞれ違うことや小さいことと言えることは意外と気づいていなかったりすることに気づかされました。気づいていないのでそもそも本人には忠実とか不忠実という意識すらないのです。 イエス様は十字架の上でご自身を刺した兵隊に対して「この人はなにをしているか分からないのです。」と父なる神様に憐れみを求められました。その兵隊は仕事として命令に従っていたので仕事には忠実でした。また彼が刺さないと十字架の御業の成就もなかったでしょう。しかしイエス様が正しい人であったとこの兵隊が知ったり、また後の日にクリスチャンとして歩むようになった時にこのイエス様のことばを思い出してどれほど慰められ、希望を見いだすことが出来るでしょうか。同じ物事であってもその時々によって、また何に対して忠実であるのかで言動は変わりうることです。まず主に忠実な者として歩んでいけるように、新しい年に入る前にこの一年を振り返り、主の前に整えられていきましょう。 [Read more...]