主が言われる自己評価~ルカ4:18-24

資本主義社会の中で評価というものが常につきまとい、時として本来の姿とは全く違う評価になっていることがあると想います。 それぞれの特徴を把握するためにカテゴリーで分類すること、例えば理系とか文系ということであったり経歴から来る評価、あることが出来るか出来ないかだけで決められることなど、、、神様が言われることは私たちの価値は計りがたいもので高価で尊いものであり、私達を愛するがゆえにイエス様の誕生、十字架復活という犠牲を伴う愛を示し、救いの道を与えてくださいました。そして私たちひとりひとりには神様の召しが与えられています。 それほどまでに私たちは神様に愛され、期待され、喜ばれている存在です。しかしゼカリヤ書3章に大祭司ヨシュアの汚れた服(罪など)を神様の前にサタンが訴えているように私たちの弱さや罪を日夜訴えている存在がいるのです。私たちはイエス様がされたように主の前でその訴えを退け、また世の評価、価値観よりも主の思いを知り、揺るがないものとして主の前に打ち立てていくことがとても大切です。 みことばを土台として、主の思いを受け止めて揺るがぬ信仰の土台であるイエス・キリストに根ざしていきましょう。 [Read more...]

信仰と希望の継承~ヘブル11:24-26

モーセはヘブル人として生まれましたが当時のエジプトの政策のため命を狙われるという問題に生まれてすぐに直面します。そして母親がカゴに入れて水に浮かべられて誰かが拾って育ててくれないだろうかというようなとても辛い決断の元でパロの娘に拾われ、王の娘の子として育てられます。機転を利かせた姉のミリアムの計らいで実の母であるヨケベデが乳母としてしばらくの間育てることが出来ましたが乳離れし、物心ついた時には宮殿で何不自由なく王の娘の子としての人生を歩んでいました。しかし、ヘブル人への弾圧の中でモーセは自分の中にあるヘブル人としての信仰に目覚めます。王の娘の子として生きることよりも信仰を求めて歩んだのです。この転換に神様のご計画と共に母の祈りや姉の祈りがあったと感じます。最近の医学では胎児の時の親のことばや感情が胎児に与える影響のことも分かってきて胎教ということばも出てきます。モーセの母ヨケベデはレビ人の家系でした。お腹の中にいた時から多くの祈りや賛美の中で大きくなっていたことでしょう。そうした信仰が継承され、芽を出す時に大きな祝福に繋がっていきました。何よりモーセははかない罪の歩みよりも神様と共に歩み、弾圧を共に通ることを選びました。そして新約においては彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。とヘブル人への手紙で記されています。まだ多くの預言書が書かれる前にモーセは永遠のいのち、贖いのことを信仰的に理解していたのです。主にある信仰と希望を持って、信仰のバトンを継承していきましょう。 [Read more...]

失望することがない神からの希望と計画

学校や会社において、何かを企画したり、イベント等を実施をする際には、そのビジョン、すなわち、目的や目標、将来の展望等を考えて、計画するのではないかと思います。 同じように私たちの歩みにおいても、その年代や様々な出来事について、計画を立てて、実現することに希望を持って頑張っているのではないでしょうか。 しかしながら、実際には上手くいかず、悩み苦しんで、結果としてあきらめて失望してしまいます。仮に達成や実現ができたとしても、周囲に迷惑かけていたり、傷つけていたり、また達成後、冷めて、虚しさから継続できなかったりすることも多くあると思います。これらの原因は、計画やそのビジョンが、自分本位や自己中心等からのものだからです。 ですが、聖書には失望することのない計画があり、私たちにとって最善かつ最高の人生計画を神さまが立てておられると語っています。さらに、この計画は、平安を与え、将来と希望を与えるものなのです。 なぜでしょうか?それは、聖書の神さまは天地万物、すべてを造られ、それぞれ目的をもって造られているからです。私たち一人一人の人間もその人にしかできない目的をもって、神さまがあらかじめ人生を計画し、創造されているからです。 ですから、私たちが創造者である神さまに呼び求めるならば、また祈るならば、人生における計画はもちろんですが、日常の様々な事についても、神さまはその計画とビジョン、これらにおける希望を与えてくださることができます。 私たちは、この方にいつも希望をおいて信頼して歩んでいきましょう。 [Read more...]