主の道を備えるための備え ルカ1:9-17

いよいよアドベント、降誕節に入りました。イエス様が私たちの救い主のために地上に来てくださったことを覚えていきたい季節ですね。イエス様の誕生の前にバプテスマのヨハネの親となるゼカリヤに天使が現れ、子どもが与えられること、その子はエリヤの霊と力で主の前ぶれとなり、民を整えることが伝えられました。 救いを受けるために罪を悔い改めることがこの時の順序として明確にあったのです。私たちがイエス・キリストを救い主として信じる時に罪の深さ、自分がいかに神様の思いから離れていたかを知ることは私たちの救いへの確信、そして信仰生活の柱としてとても大切なものです。その軸足がなければ主にある自由を自由奔放なものと取り違えてしまいかねないからです。真に赦されたと確信するならば私たちは罪から離れようとしていくことが出来ます。そして聖霊様がそのために助けてくださることを体験していくことが出来ます。 神様が私たちのために与えてくださった最高のプレゼント、救い主が与えられたということを自分と神様との関係の回復が与えられる機会として信仰持って受け止め、そして神様ご自身が私たちを愛しておられること、共に過ごしたいと願っておられること、主と共に歩むことが出来ることをしっかりとつかんでいきましょう。 [Read more...]

正しく伝える大切さ~ルカ1:1-4

物事を伝えるということは本当に大変な事柄です。どんなに魅力的なものであっても伝え方が悪ければその魅力は伝わりません。しかしその反面、伝え方が良かったり、影響力のある人の発言は大きな結果に繋がったりすることもあります。そのような難しさの中で大切な事柄はいかに正しいことを的確にまた伝わるように伝えるかということです。さらに最近様々なニュースを見る中で良く語られることはフェイクかファクトかの見極めというものもあります。聖書は読んだことはなくても自分の人生を方向付けるほど読み込み、自分の考え方の指針としている本について自分のバイブルという言い方をする方もおられますが、ぜひ本当の聖書を読んでみてほしいと思いながらそういう話題を見ることがあります。どんなことを書いているのか、そのことによってどれだけの人に影響を与えたかはなんとなく知っているけどないような知らないという方が実際には多いのではないでしょうか。イメージとかニュアンスとかフィーリングは人を動かす大きな力になります。しかしその芯になる部分が真実でないとしたらそれはもったいないことです。聖書は約1600年もの時間をかけて神様から霊感を受けて多くの人々を通じて書かれた物です。その目的な神様とはどのようなお方か知ること、罪とはなにかを知ること、そして罪からの救いについて、つまりイエス・キリストの誕生、生涯、十字架、復活、昇天、再臨について記されています。この中に私たちが愛されていることやどのように生きるべきか、人生で起る問題についてどのように対処すべきかなどその内容は多岐に渡ります。だからこそ聖書は人生の柱となり得るのです。 [Read more...]

思いをつなぐために~ローマ16:22~27

聖書は実に40人ほどもの多くの人物を通して約1600年の時間をかけて記されました。それだけ長い年月をかけつつもすべて神の霊感により書かれたとIIテモテ3章に書かれているように人間ではなく、神様が著者であるという認識が聖書を神様からの大切なメッセージと受け止める人々には信じられています。そしてそのために用いられたひとひひとりは王様であったり、政治家、農夫、漁師、医師など様々な背景を持った人々が用いられました。それだけ多彩な人々が異なる地域、時代の中で記されました。その目的は神様がどのようなお方であるかを伝えること、罪を知ること、永遠救いについて、またそのための方法を知ること、それらの道筋がイエス・キリストの誕生に向かっていくための預言、そして公生涯、そこから繋がる弟子達の宣教へとつながり現代の教会の歴史と働きへと繋がっていきます。それはすべて神様が望んでおられるひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つことが出来るようにというこの愛によって動かされたひとりひとりによって紡がれていくものです。ローマ人への手紙はテルテオという人物が晩年のパウロが口頭で語っていることを聞いて執筆しました。その過程ではパウロの言っていることを理解して書くという中で彼の知識の範囲、配慮など多くの調整が必要だったはずです。そして同じ聖霊によって導かれていくという霊的土台の一致がありました。そのようなひとつひとつのつながりがあって神様の思いが歴史の中で大きくつながれていったのです。主がこれからの時代の中でその御心をさらに現わしてくださるように神様に思いを向けていきましょう。 [Read more...]