からし種ほどの信仰~ルカ17:5-6

「からし種」の大きさは約0.5mmで、最も小さな種です。聖書では「このからし種がまかれ、生長すると、大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になる」と書かれています。また、「からし種ほどの信仰があれば、山が動く」ともあります。 このからし種ほどの信仰とは、神さまへの信仰を表し、信じる者に働く、神の力の素晴らしさを比喩しています。 イエス様が言われた、「からし種ほどの信仰」とは、私たちがどのような状態であったとしても、「神さまのもとに行くだけの信仰」すなわち、神さまに心を開き、近づくだけの信仰をもって歩むことです。そうすれば、神さまからの愛と平安が私たちに注がれ、勝利と解放が与えられることになり、そのことは、その人だけにとどまらず、拡張し多くの人への恵みになります。 私たちの人生においては、様々なトラブルや問題が起きてきます。そして、事が起きてきた時に、すみやかに神さまに向きあい、信頼すればよいのですが、問題等に圧倒され、いろいろな思い煩いや不安に陥いてしまいます。ですが、私たちが、からし種の信仰を持つ時に、神さまが私たちに近づいてくださるので、私たちは神さまに向き合うことができ、神さまから、励ましと問題を乗り越え、解決する力を与えてくださいます。 ですから、私たちは、神さまに信頼して歩んで行きましょう。 [Read more...]

主が目を開かれる時~使徒26:14-18

近くにあるのに見つからないことや目の前にあっても見えていないことを経験したことはないでしょうか?集中力や注意力、また年齢などという理由があるかも知れませんが気をつけて探していても見つからないということも体験したことがある方も多いと思います。聖書の中にもそのような箇所は記されています。創世記にはいのちがかかったような場面で井戸のそばにいたのに気がついていなかったことがハガルとイシュマエル親子のこと書かれています。神様がハガルの目を開かれたので井戸を見つけいのちをつなぐことが出来た箇所です。私たちは気をつけていても大切なことを忘れていたり、見えていないケースがあるということを神様の前に謙遜に受け止めておく必要があります。「自分は大丈夫」という思いを持っていると余計に見えなくなってしまうことがあるからです。神の全能と己の無能を適切に理解し、神様に期待して歩む時に不可能が可能に、絶望から希望を見させてくださるのが神様の御業です。主が私たちの霊的な目も、また肉体としての目も開いてくださり、今まで以上に神様の視点でも物事を見ていくことが出来るように祈り整えられていきましょう。 [Read more...]

真の礼拝者となる~ヨハネ4:21-24

イエス様はその公生涯の中でユダヤ地方を中心に歩まれましたがサマリヤ人の土地にも入り、福音を宣べ伝えられました。ヨハネの福音書4章にはサマリヤで信じる人たちが起こされ、そこに滞在されたことが記されています。当時の文化としてユダヤ人がサマリヤ人と交流するということは一般的には行うことではありませんでした。しかしイエス様はサマリヤにおいて形見の狭い生活をしていたひとりの女性に声をかけられ、本当の礼拝すべきお方とその場所が限定されなくなる時が来ること、神様は霊なので霊とまことを持って礼拝することについて教えられました。ユダヤ人としてのエルサレムで礼拝すべきという概念を変えておられることが分かります。初代教会が始まった時異邦人宣教が始まった時にこういったイエス様の姿勢、態度を見ていた弟子達ですら最初ユダヤ人としての常識、あり方をすぐには変えることが出来ませんでした。迫害によって散らされたことやそのことによって異邦人に宣教するようになり、聖霊が下るのを見て改めて教会としてどうするかと会議を開いて重大な決断をすることが出来ました。霊とまことを持ってということばはとても意味が深く神様と交わる。またその中で誠心誠意神様の思いにフォーカスしていくことなどがその意味に含まれると思います。自分の思いよりもはるかに高く広く、深い神様の思いを知り、そんな偉大な神様に愛されていることを感謝しつつ自分たちの思考の土台、行いの土台を造りかえていきましょう。 [Read more...]