善を持って悪に打ち勝つ~ローマ12:16-21

ローマ12章はその1章の中に多くの重要なことが凝縮されています。人間関係において難しい事柄について実にわかりやすく書かれています。「復讐は神のすることである」と聞いたことがある方もおられるかも知れませんがそのことばのエッセンスの元はローマ12章後半に書かれていることです。しかしそこだけ見るととても怖く思いますがその前後を見ると明確に愛が書かれています。敵が飢えているなら食べさせ、飲ませなさいとあります。戦国時代において武田信玄と上杉謙信の関係を表すことばとして「敵に塩を送る」ということばがありますが単なる敵対関係ではなく、お互いをリスペクトする姿に多くの方が感銘を受ける出来事です。私たちはそのように相手を尊敬しあう関係を本来望んでいるのです。聖書には私たちが互いに平和を保つことについて記していると同時に一方的に我慢を強いられるのではなく、その報いは神様がして下さるという慰めがあり、またお互いに足りないものであることを知ることで一方的に相手を責める自己中心から守られることを教えています。神様の前に立つ時に完全な人はひとりもいません。しかしそれぞれに正義があり、通したい筋があるわけです。そのような問題に対して聖書は愛を土台とすることで繋がっていくことを教えています。日々の生活の中でこのみことばを土台とし、みことばのうちに留まる者となりましょう。 [Read more...]

喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣く~ローマ12:9-15

聖書の中には私たちが生きる上で大きな指針となることが色々と書かれています。律法のような一見難しそうなことから喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣くというような感情的にも繋がりが強い人同士であればとても共感しやすい事柄も書かれています。このみことばのポイントはこの関係性を内輪だけのもの、仲良しグループの中だけでするものではなく、神様が愛してやまないお互い、つまり私たちが他人と思っている方に対してもそのような心を持つことが出来るかどうか?という大きな課題があります。それは神様が私たちを祝福されることの意味を知ることが大きな鍵になります。神様はアブラハムを祝福されました。しかしその祝福はアブラハムだけに与えられたものではなく、アブラハムが祝福を受け、アブラハムが多くの人々にとって祝福となるということを神様は明確に語っておられます。湖が水を川を通して海に注がないと死海のようになるように、祝福を循環させることは神様の御心です。私たちがなんでも一人占め、自己責任という風潮に流されるのではなく、祝福を流し出し合うことができればお互いの短所によってなにかを建て上げるのではなく、お互いの長所、強みで建て上げることが可能になります。そして主にある喜びを共に喜ぶ者となりましょう! [Read more...]

キリストの体としての一致~ローマ12:4-8

人に与えられた「個性」というものは素晴らしいものであると共に「多様性」というものの許容範囲が人によって認識が異なる側面があります。つまりどこまで個性が受け入れられるかということは文化や習慣、環境において変わるということです。しかし個性だからと言って犯罪行為を認めてしまえば多様性、個性を需要しなければならないという押しつけになり弱い立場の人たちは自分を守ることすら出来なくなります。そしてその立場も分野が変わると逆転します。同じスポーツ選手だからといってなんでも出来るわけではなく、野球のプロと水泳のプロは要求されるものが違いますし、同じ陸上というくくりの中ですら短距離選手と長距離選手に必要なトレーニングも求められる資質、つけるべき筋肉のタイプまで違うのです。見た目は似ていたりカテゴリーが近くてもそれぞれが違うのです。ではなにを持ってわたしたちはひとつとなることが出来るでしょうか?人が考えるのでは自分を基準としてしまうからです。神様は聖書を通して私たちがお互いの文化、習慣などの違いをおいてひとつになることについて記しています。旧約における律法というものも新約においてイエス様がまとめられました。それはユダヤ文化がいいとか違うとかではなく、すべての人が神様の愛を知り、キリストの贖いのゆえに救いを受け取るためです。違いを乗り越えるほどの愛がそこにあるのです。そしてイエス様ご自身は天の栄光を全て捨てて人として、しかも弱い赤ちゃんとして来てくださいました。与えられたキリストにある救いの恵みを今日も感謝し、明日も共に歩みましょう。 [Read more...]