週報より
今の時代は人権がほとんどの人は人権を持っています。どこに住んで何をするか多くの選択肢があります。しかしその人権を守るために危険にさらされる人もいます。よく裁判所や刑務所などの前で群衆と警察との衝突などの映像が流れます。仕事といわれれば終わりでしょうがそれでいのちを落としたりしたらどうなるでしょう?凶悪な犯罪者を守って死んでしまったら・・・殉職した人の人権は?と思うでしょう。しかし人権は生きている人のために特に主張されるように日本の法律はできています。ですから犠牲者の顔や名前がそのまま報道されることが多いのです。そんな問題のなかで平等ということを考えると亡くなった方にとっては割が合わないでしょう。いのちを落としてしまってはあとで記念碑を建てられても遺族に慰謝料が支払われてもいのちとは比べることが出来ません。しかし、こんな理不尽の多い社会でも神様の視点で見たときに、永遠という尺度で見たときには平等に愛され、悔いあらためる時赦され、また裁かれることを知ることが出来ます。私たちは目先の損得や心を偽って歩むことをしてはいけません。自己中心的な歩みではなく、神中心、また他己中心(タコチュウ?)に考えていきましょう。無理をしていい人ぶる必要はありませんが少しづつ神様の視点、聖書的な視点をもって歩んでいきましょう。