目を開かれる御方~マタイ20:25-28

 もうすぐイエス様のエルサレム入城を覚えるパームサンデーです。この十字架へのカウントダウンの前の出来事として弟子達にご自身がこれからどのような歩みをされるのか?まさに十字架の出来事について話されましたが弟子達はイエス様が語られることが本質的に理解出来ませんでした。理解するどころか誰が偉い地位に就くかに関心がいく始末でした。そのような弟子達にイエス様は仕えることの大切さを話されました。

 そしてその出来事の後、目が見えない方達の目を癒やされ、そしてエルサレム入城の場面が聖書では記されています。物理的な目が癒やされた箇所ですが前の弟子達とイエス様とのやりとりを考えるとすごく象徴的な出来事だと思います。
 
 私たちは見えていても見えてないことが多々あります。日常生活においても捜し物が実は身近にあるのに、見たはずなのに最終的に探した場所から見つかったりすることはないでしょうか?
 私たちは霊的な領域において主を信頼し、主が見せたいと願われていることが見えているでしょうか?自分の価値感、先入観を置いて、主によって目が開かれ、霊的な領域で主の御心を見出していく者とされていきましょう。

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