週報より
「富める時も貧しい時も、健やかなる時も病める時も・・・」キリスト教の結婚式に出た事がある方なら多分耳に残っているこの言葉、どんな時でも愛することを誓約し、結婚する。そしてその誓約が試されるのは実際の結婚生活を通して証されるわけです。誓約を口で言うのはたやすいことですが実際それを守り通してこそ真実な愛がそこにあるわけです。私たち夫婦も結婚してもうすぐ5年目を迎えようとしていますが、いろんな局面を夫婦で乗り越えて来ました。意見が合わないこととかもありましたが、そういったことを経験して理解を深め合い、またお互いの違いを生かしてきたわけです。いいときもあれば悪いときもあります。機嫌のいいときもあれば機嫌の悪いときもあります。楽しいこともあれば苦しいこともあります。しかしその全部を共有して人生のパートナーとして歩む時にそこに聖書にある「2人は父母の元を離れて一体となる」というみことばの通りになるのだと感じます。この関係はキリストと教会を指しても同じように言われています。教会を指すということはイエス様を自分の救い主として信じる人を指して言っていることとほぼ同じことです。つまりキリストと共に歩むならキリストと共に苦難をも分かち合うべきだということです。私たちはイエス様を通して大きな恵みをたくさん受けています。しかしそれと共に苦難をも受ける時があります。今日の聖書箇所でパウロは石打ちに合いました。しかしかれはまさに奇跡的に立ち上がり、また働きを進めていきます。そこまでの場面にはなかなか遭遇もしないかも知れなせんが信仰に立って、主と共にすべてのものを分かち合う歩みをしたいと願います。