週報より

いわしの頭も信心かなという言葉があります。いわしの頭でも信じれば神になるというような例えですが、ようは信じる心があれば何を信じても同じだという言葉です。しかし実際はいわしの頭はいわしの頭であり神ではありません。また仏像にしても石像にしても木や石、金です。同じ木を使ってお箸を作ったり紙を作ったり、また指輪にしたりするわけです。こう考えるとなにかおかしいなと思いませんか?自分の手で作れるものを自分以上の存在として拝み、大切にするのです。またそういうことに対して「この木には霊が宿っているから他の木とは違う」という意見が出るかも知れません。しかしこうした価値観がアニミズムと呼ばれるものに繋がっていきます。アニミズムとは霊的存在が肉体や物体を支配するという精神観、霊魂観で日本の中にも多く見受けられます。大きな木や石があるとしめ縄をつけたりするのはこうした思想から来ています。しかし被造物は被造物でしかなく、それを作られた真の神様を見る必要があります。しかし私たち人間は分かりやすく、また見えるもの、手に取れるものを神としたがり、また自分の都合のいい神様を求めるのです。神様から見れば私たちは木や石、金銀宝石よりも素晴らしい存在なのにそういったものに畏れを抱いている姿はどう映るでしょうか?天地を創られ、私たちを創られた神様を知り、信じて歩んでいく時に本来の信仰にある喜び、畏れ、希望があるのです。

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