週報より~あわれみの器~

神様の絶対的主権に続く聖書の流れの中で忘れてはならないこと。それは神様の寛容と忍耐、そしてあわれみによって私たちが救われ、さらに神様の栄光のために用いられるということです。私たちひとりひとりには値がつけられないくらいの価値があると聖書は記しています。と同時に私たちの弱さや愚かさ、自分の行いで義を確立することが出来ない者であることも書かれています。私たちを生かすことも滅ぼすことも出来る御方があわれみによって生かし、救い、用いて下さるというのです。ここに「誇るものは主にあって誇れ」ということばの意味があります。私たちの人生がどんなに成功しても、また素晴らしい評価を受けたとしても、それは私たちが優れているからだと自分を誇るのではなく、あわれみによって建て上げて下さった神様を誇れる者となることが大切です。なぜならば、私たちは高ぶりやすいものです。サタンもイエス様を誘惑する時に富や名誉から来る欲を持って誘惑しました。それほど私たち人間にとってそれは大きな落とし穴であるということです。用いられれば用いられるだけその落とし穴も大きくなることを知り、そして神様の前に謙る必要があります。私たちの能力や働きは神様のあわれみという大きな器であるということを知りましょう。そして器は必ず意味を持って作られているように、私たちひとりひとりの人生にも神様はご計画を持っておられます。主にあって謙り、主に自分の作られた目的をしっかりと握って歩みましょう!

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