弱さの中にある強さ~週報より~
イエス様は多くの癒し、奇跡をなさいました。使徒行伝を見ても多くの奇跡的な神様の御業があります。そして現代においても信仰によるいやしや奇跡は起こります。しかしここでひとつの疑問が沸き上がるでしょう。いやされるのはもちろん信仰によってですが癒されないのは信仰が足りないからなのか?奇跡が起こらないのは祈りが足りないからなのか?その答えは非常に難しい問題です。すべてに対してYESでもないし、またすべてに対してNOでもありません。第二コリントを見るとパウロはなんらかの疾患があり、そのために3度祈ったけども癒されず、そのサタンのとげはパウロの弱さを通して神様の御業が完全に現されるためとあります。つまりパウロを高ぶりから守るためのブレーキとしての疾患であったということです。ここから病気はすべて癒されるべきという極論と病気のために祈っても癒されないこともあるから祈らなくていいというような諦めの極論から私たちが抜け出しバランスを取った成熟した品性を持って弱さをも、恵みをも感謝して主の前に受け止めることが出来るようになる道を見出すことが出来ます。私たちは誰しも悩みやコンプレックスは持っていると思いますが私たちが弱い時こそ主は強い御方であることを知りましょう。弱さを覚えるから神様をさらに求め祈ることが出来ます。しかし私たちの現状でも神様の愛は変わることなく注がれているという素晴らしい恵みにも目をとめましょう。信仰の目を開いて自分を誇るのではなく、神様に愛されていることを誇ることが出来るようになっていく時に私たちの人生の価値観は大きく変わります。自己中心な生き方から神中心の生き方へシフトしていく時により自分にとっても祝福があることを発見することでしょう!