週報より

道路に出ると当たり前のように様々な標識があります。一方通行や一旦停止などというその場限りの小さいルールから行き先を示す大まかなものまで多種多様です。以前長野にいたときおもしろい標識を見つけました。行き先を示したものなのですが山の中に立派な標識で←東京 大阪→と書かれていて大笑いしました。大まかすぎて近くの地名が分からないので地域の街や村にいくには不適切ですよね。しかし東方向か西方向かは分かるわけです。聖書の中にはそういった大きな分かりやすい救いの基準もありますし、また成熟していったクリスチャンに向けた生活の中で意識して改善していくべき方向性を記したものまでそれこそ多種多様なことが書かれています。全人類が当てはまる基準もあれば、それぞれの状態によって変わりうることまであるわけです。その中で大前提となるのはいのちに至る道か滅びに至る道かということです。もし地上だけでいのちも意識も終わってしまうのであればやりたい放題他人の迷惑も顧みず自己中心に生きた人のほうがいいかも知れません。まさに現代起こっているモラルハザードです。しかし実際は聖書にはっきりと天国と地獄、また裁きを受けること、人は罪人であること、イエス・キリスト以外に救いの道はないことなどがはっきりと大前提のものとして書かれています。よくこの部分でニューエイジムーブメントの影響を受けた方々からキリスト教は了見が狭いとか独善的だと言われます。しかしそれは私たちがそうしているのではなく、聖書の基準、つまり神様の基準がそうなっていることでそれに従うかどうかは各個人に委ねられていることです。まず自分がどこに向かっているのか?しっかりと見据えて堅実に歩んでいきましょう。

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