週報より
なにかに対して腹を立てた時、途中で自分が悪かったことに気がついたり、見当違いな相手に当たっていることに気がついて恥ずかしい思いをしたことはないでしょうか?また言い争いがエスカレートしていってそのうち最初なにでぶつかっていたのか忘れてしまっていたり、でも引っ込みがつけれなくなってしまう。そういうことを一度は体験されたことがないでしょうか?私たち本来の自己中心的な思いに流されてしまうとなにか自分の気に入らないことをされるとそれ以上のことを相手に返してしまうことが多いと思います。また精神的ダメージを受けたとしても相手に同じだけの精神的ダメージを与えたらいいと思ったとしても誰が同じだけ傷ついたと計ることが出来るでしょうか?それは誰も正しく把握することは出来ません。そういったぶつかり合いはお互いを傷つけてしまいます。聖書にあることはかえって祝福を与えるようにとあります。その相手の祝福を祈ることはなかなか大変かも知れません。感情が追いつかないことがほとんどかも知れません。でも聖書に従うことは大きな祝福の道です。従うとは気分ではありません。決断です。私たちがまず決断する時にそこに神様の助けがあることを初めて知ることが出来るし体験することも出来ます。まず私たちが信仰を持って相手を祝福することを決断しましょう。失敗も多いかも知れません。一度失敗したらあきらめるでしょうか?それは経験に立って諦めるという決断を自分で下しているだけで聖書に従っている生き方ではありません。すぐには力が湧かないかも知れません。でも決断し続けましょう。立ち上がる方向に向かいましょう。主にあって私たちは祝福することが出来ます。その時こそ自分自身も豊かに祝福されます。