週報より使徒3章

 教会の働きを見ていくと礼拝や祈祷会、聖書を学ぶというわかりやすいものだけでなく、地域の様々な課題に対して遣わされていくことや、世界宣教など遣わされていく働き、また癒やしや奇蹟という御業を伴うものもあります。
 そして癒やしや奇蹟という事柄を扱う時に大切なのはただ主イエスの名によって成すということです。個人の力とか努力ではなく、すべての奇蹟、癒やしは主の御名によって起こるという土台を認識すること、そしてイエスの名によってということも呪文や道具のように用いるのではなく、私たちとイエス様の個人的関係に基づいた関係性がとても大切です。イエス様が私の罪のために十字架にかかってくださったこと、そしてそのイエス様を自分の救い主として信じていること、救いを受け、神の子とされたことを知っていることなどが前提としてある時に結果はすべて主にお委ねし、結果がどうあれ自分と主との関係は変わらないという安定したつながりを保つことが大切です。
 主の名によって私たちが大胆に祈り、求めることを聖霊様は喜び、導いてくださいます。それと同時に私たちの内面を整え、品性を磨き、希望へとつなげてくださいます。ただ主にあって求める者となりましょう。

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