週報より

聖書を見ると信仰を持って祈る時にすぐ神様が聞いて下さって結果が伴う場面が多くあります。私達の日常生活で同じようにすぐに応えてほしい場面は多くありますよね。でも聞かれないこともあります。聖書を見るときにその祈りに至る課程や、また祈りにはいってから現実に結果がでるまでの行間、また結果は出ていなくても信仰によって結果を信じるケースなど注意深く読み解くことが大事です。でなければ少し祈って聞かれないから祈ることを辞めてしまったり、いやしを信じられなくなったりと脱線していくことがあるからです。聖書の祈りには継続があったり、積み重ねがあったり、時があったり、いろいろな要因が合わさって結果につながっています。即聞かれないから信仰が足りないとかそういう問題で片付けることは出来ません。正しい信仰の姿勢で祈り続けることは時として非常な忍耐を伴います。投げ出したくなることもあるかも知れません。とぎれとぎれで祈ったり祈らなかったりすることもあるでしょう。しかしどんな時も神様の御手の中にあり続けることがなによりも大事です。ひとつの祈りの結果よりも私達の存在の方が神様の目から見て尊いものであるからです。私達が問題を大きく見過ぎると祈りの結果と自分の信仰を天秤にかけてしまうような精神状態になることもあります。しかしこのような状態は間違っていますよね。人は問題があると祈りに向かいやすいものです。しかし問題を乗り越えることが祈りの最終目的ではありません。祈りによってさらに信仰を深くすること、神様の思いを知ること、そして神様の思いを祈り求めることができるようになること、自分の自我のための祈り以上に神様の御心を祈れる器になりましょう。

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