週報より~十字架の深み~

~どんなに優れた法律があったとしても、その法律が効力を発揮するのはその国内においてだけという限定的なものです。また年齢によって同じ罪を犯したとしても罰則が異なったり、状況によって結果的に同じことをしたとしても罪に問われないケースもあります。つまり法律や律法の土台にある私たちが幸せに生きることの保証、またそのために必要になる罪に対する罰則というのは絶対的なものではなく限定的に私たちを支配するものであることが分かります。どんなに罪を犯したとしても死人を裁くことは出来ません。しかしどんな失敗をした人であっても生きていればまた立ち上がることが出来ます。キリストを自分の救い主として信じるということはキリストと共に罪に死に、キリストと共に甦るということの象徴として水のバプテスマを受けてクリスチャンとなるのが一般的です。つまり罪の支配から死にキリストと共に歩む=国籍は天にあるということを霊的に意味しています。もちろん私たちが地上での生涯を歩むなかでそれぞれの地域の法律を大切にすることはいうまでもありませんがそれ以上の権威を持つ神様のもとに自分という存在があるという安心感があるのです。法律は時代や政権によって変化します。時として悪い方向へも、しかし神様の統治は素晴らしいものです。神様は私たちを抑圧される方ではなく自由にして下さる方です。恐れによる支配ではなく愛のキャッチボールに基づく関係です。聖書のみことばを通して神様のことをもっと知り、その義、その愛、そして豊かな恵みを実感していきたいですね。 [Read more...]

週報より~新しい歩み~

恵みによって罪から救われて私たちの人生が新しくされていくことをローマ人への手紙から分かち合っていますがここで注意すべきポイントがいくつかありますがそのひとつに新しい歩みに恵みにより入っていく。ということの中の新しいとはどういうことかをしっかりと知るということがあります。新しいの意味は、今までにない。初めてである。できて間もない。従来のものとは違う。食べ物などが新鮮である。といった意味があります。そしてその語源を調べるとその本来の語形は「あらたし」であり「あらたむ(改む)」「あらためる(改める)」と同源であることを発見します。つまり本来の意味として広義においては新しい歩みとは改められた歩みという風に言い換えることも出来るでしょう。なにを改めるのでしょうか?私たちは本来自己中心的な者です。そのことをまずしっかりと理解する必要があります。もし赤ちゃんが自己中心でなければ誰しも成長することはできなかったでしょうし、必要な愛情や栄養も受けることは出来なかったと思います。本来私たちが持っているその自己中心的な生き方を神中心に改める時により自分らしく輝くことが出来ます。自分だけのことではなく他の人のことも考えるように変化していくことは大切です。ここでのポイントはただ遠慮深く控えめなだけとは違うということです。自分に与えられているものを神様や人の前に活用していくということです。時としてそれは大胆なものであり、控えめでないかも知れません。しかし私たちが見習うべきイエス・キリストの歩みは虐げられた人のために時に大胆に従来の伝統やあり方と超えたことをなさっています。本質は形式の維持ではなく人々の心が解放されることであり、神様を知ることが出来るようにすることです。より自分らしく、神様の前に新しい歩みをしていきましょう! [Read more...]

2014年度初活動!

新年度になって初の清掃活動!初回は12名参加で桜の花が咲き誇る三角公園へ 吸い殻や缶ビールの空き缶などが目立った。 暖かくなって行楽にいく機会が増えると思いますが 心と体をリフレッシュして、景観もきれいに次に来る方が気持ちいい状態にして帰るように心がけましょう。心も街も美しく