週報より
聖書には世界の基が据えられる前から救いの計画があったことを記している箇所がいくつかあります。私たちが生まれるずっと昔から私たちを愛し、形作ってくださった方が選んでいて下さったというのです!なんという驚きでしょうか?小さなきっかけでイエス様のことは知ったかも知れません。しかしその背後に長い年月をかけた神様のご計画があるというのです。神様は一方的にその救いを押しつけるということはパウロのように希にしかなくふつうは私たちがそれに気づき、受け止めることをしなければいけません。パウロのケースにしても例外ではないのはそこに自分の決断があるということです。自分の人生の中に起こるサインに気がつきそれに応答するかどうかはそれぞれ各個人の選択です。携帯電話がなってそれに出るか出ないか選択するのと同じことです。ある方は着信拒否にしてしまっているかも知れませんね。また出ないという選択肢があることも意識せずかかってくるものは全部応答する方も多いでしょう。聖書にはこの町には私の民が大勢いると宣教の現場で励ましておられる神様の姿、旧約時代にもご自分の民をちゃんと残しておられることを示し預言者を励まされました。神様は私たちを用いてサインを送ろうとされています。より気づきやすく、また受け入れやすくサインを出し続けることを望んでおられます。今の時代は宗教的混乱にあると思いますがそのような時にこそますます世の光としてこられたイエス様を高く掲げていきたいと願います!