備えられた救いの道~マルコ16:1-7

 復活祭おめでとうございます!イエス・キリストの十字架、そして復活を通して開かれた救いと天国へと続く永遠の希望を心から感謝し、受け止め、思い巡らす時をひとりひとり持つことが出来たらと願います。
 この十字架と復活の出来事の中でイエス様はご自身を十字架につけた人達に対しても神様の前に「この人達は何をしているのか分からないのです」ととりなされました。極限状態の痛みと苦しみの中でそのようなことばを出すことが出来るでしょうか?イエス様が十字架で息を引き取られた時にそこにいた百人隊長はイエス様がまことに神の子だったと認める発言をしたことが聖書の中には残っています。そして三日目にイエス様はよみがえられました。ガリラヤでペテロをはじめとした弟子達に会われたことを中心として多くの人々に様々なかたちで現れられたのです。そしてオリーブ山から昇天されました。
 そしてイエス様が備えられた救いの道は、自分に対して敵対し、害をなす人に対してとりなされたことを見ても分かるようにすべての人に対して開かれています。そのイエス様の尊い犠牲によって与えられるその救いを私たちはどのように受け止めていくでしょうか?
 主の前に真実な心を持ってこの私たちがこの地上で受けることが出来る最高の恵みを受け取り、主の恵みのうちに日々新しくされていく者となりましょう。

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