週報より

物事を進める時にいろんな人に助言を求めたりすることはとても大切な事ですが、どういった人に聞くか?ということが聞くこと以上に大切になります。例えば電気のことを聞くのに漁師さんに聞いてもよく分からないかも知れません。より信頼出来る経験者に聞くことがベストと言えるでしょう。しかし、それでもなかなか最善の答えを見いだせず、確信が持てないこともあるでしょう。戦国時代などでは大名の多くが陰陽師などに頼っていました。今でも多くの有力者がそういった霊媒師などに頼っていたりする現実があります。たまに常軌を逸していることを要求されることもあるでしょうが、妄信的になってしまうとなんでも受け入れてしまうこともあるでしょう。しかしそれではただ単に責任を少しでも回避したいという願望からすがっているに過ぎません。本当の常識すら超える信仰からくることばというのは時として軽く扱われます。今回の聖書箇所でパウロはそういった扱いを受けますが、パウロのいうような艱難に遭遇して初めてパウロの信仰のことばを受け入れることが出来るように皆が整えられました。そしてここで注目するべきことは責任者である隊長はパウロのことばを信じ、自分の責任においてそれを遂行したのです。パウロに責任を転嫁して進んだのではなく、自分で選択して行ったのです。その結果パウロのいうようにすべての人が命を落とさずにすんだのです。私たちは何かに頼る時に、失敗したらそのせいにするために頼ってないでしょうか?責任感を持って実践しなければ真剣さも出ませんし、また失敗してもいいということも分かりません。そしてその下にいつもある神様の守りの御手を知ることも出来ません。神様に信頼し、信仰によって歩みましょう。

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