週報より
クリスチャンが物事を決めて行くときに重要視することのひとつに神様の導き、また御心というものがあります。よく御心論争と言われるものもありますが、それはお互いに相反することを示された、また御心だ、より聖書的だと主張するわけです。しかし使徒の働きを良く読み込むとそういったかみ合わない内容が多くありその背後に神様の摂理があることが分かります。そういった衝突?を通じてより確信を強くしたり、またより真剣に祈ったりと信仰の成長にそういった衝突が大いに用いられているのです。一方が聖書的に説明するとあとは何も言えなくなる空気は一番問題かも知れません。なぜなら聖書には人は友によって研がれるとか、また熱心に信仰の交わりをするようにとあります。熱心にということは真剣にまた熱くということです。つまりヒートアップした議論もok、むしろ熱心にぶつかるからこそ時に傷つくこともあるでしょうが、その共同体が生きていると言えるのです。もし会議が1分で終わる教会や会社に発展性があると思うでしょうか?答えはNOです。良いと思うことをいろんな角度から見ていくことで対局も見ることが出来るのです。同じ風景を見てもひとりひとり印象は異なります。それを総合的にあわせることでより素晴らしいものが伝わるのです。そこで一致していくのに必要なのはキリストによる愛です。私たちのやせ我慢には限度があります。しかもリミットが多くの場合かなり低いでしょう。しかしイエス様の故にと思って愛を表していくときに以前は無理!不可能!!と思っていた自分の限界が少しづつ取りのけられていくことに気づくでしょう。イエス様の愛によって生かされていきましょう。