週報より

ちょっとした誤解や偏見、また八つ当たりなどでいじめや様々な問題に発展したり、また悪意ある陰謀を巡らしたりすることが私たち人間にはあります。自分が忍耐していくよりも何か他に当たる方が楽だからです。
 しかしそれはなんの解決にもならないことを私たちは分かっていても時にどうすることも出来なかったり、またいつの間にかその感情に支配されていたりすることがあります。
そういった憎しみや怒りというのは時にとてつもないエネルギーで人を突き動かしますがその末路は悲惨なものであり、神様の視点から見た時には完全に間違った動機になります。そういったエネルギーを与えるものに愛というものもあります。これも人をとてつもなく強くしますがこちらは他に危害を加えない。という点で大きく異なります。しかし、愛を動機とすることはそれ以前に局地的、暫定的な状況で起こり、またそれを常に発揮していこうとするときに非常に練られた品性がなければ長続きしません。憎しみとか怒りは爆発的に始まり、どんどん拡大もしていきます。それの例えとしては戦争が挙げられるでしょう。愛という動機に基づくと多くの場合始動に時間がかかります。それを持続させるにも忍耐が必要です。それは建物を造るのと壊すのとどちらが早いか?というくらいの違いがあるのです。人間関係も壊すのはすぐですが築くのは時間がかかります。そして壊れていたものをもう一度立て直すのはもっと大変です。神様はすべての人を自分より優れていると思いなさいと聖書の中で私たちに語っておられます。そういった姿勢と心があればどれほど素晴らしいことかと思います。イエス様は天の栄光を捨てて粗末な馬小屋で誕生してくださいました。その愛を見習いたいですね。

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