週報より

私たちの人生でとても目立つ時もあれば、影に隠れたような時もあると思います。そういった外面的評価ではなくとも、自分が生き生きとしている時や、また悶々としている時期もあるかも知れません。神様は優れた働き人を起こすために時に隠されます。そこでキリストにある品性を身につけるためです。
 旧約聖書を見るとモーセやヨセフ、ダビデなど優れた働き人は多く見出すことができますが、その働きに応じて養成期間のような辛い時期を彼らは通っていることを発見します。誰しも楽をしたいと思うかも知れません。楽をしてありあまる才能を用いて華々しい働きをしたいと思うかも知れません。もちろんそうできれば素晴らしいことですが、イスラエルの初代王となったサウルは優れた人でしたが外面を気にし、優先順位を間違え、嫉妬にかられその最後は悲惨なものでした。最初は祝福され、その優れた能力で国を治めましたが後に暴君ともとられかねない状態になりました。彼の人生には多くの働き人が通った辛い養成期間がなかったことが大きな原因であったと思います。いくら素晴らしい働きをしてもそれが足下から崩れ去ってしまっては本当に虚しいものです。私たちの人生に神様は様々なテーマ、課題を持って試練を通らせます。それは私たちが身につけるべき信仰、品性を発見し、成長し、成熟していくためです。このような時に神様はすべてを信じ、すべてに期待しなさいとみことばを通して私たちを励まして下さいます。神様にあって絶望は絶望に終わりません。その壁の向こうに希望を見出すことが出来ます。神様の視点に立つときにその壁が変わらなくても耐えることが出来る道を見つけます。主に期待して歩んでいきましょう。

Follow me!