週報より

私たちの生活の中で2面性というものは結構多いと思います。プラスがあればマイナスがあるといった内容のことなのですが、誰かが喜ぶと疎ましく思ったり、また誰かが悲しむと自分はよかったと安堵したりという心の中にある問題から、どこかで予算を増やせば違うどこかで予算を削らなければならないような問題に直面することもあります。常にそういったシーソーのような状態があるという事はありませんが私たちが信仰を持って歩むときに、「世には艱難があります」と聖書は明確に記しています。もちろん生活のための困難や政治や戦争、天災に伴う困難はすべての人に起こりうることでしょう。しかしそれと別に信仰があるが故の困難があると書かれているのです。いままでの宣教の歴史において多くのクリスチャンが殉教してきました。なぜでしょう?それは偶像を拝むことと宣教してはいけないということに関してクリスチャンは例え法令であっても守ることができないからです。日本で踏み絵というクリスチャンをあぶり出す方法があったことを多くの方はご存じでしょう。カトリックの感覚が強かった当時の人々の多くが殉教の道を選びました。なぜそこまで出来るのでしょうか?それはこの地上の生涯だけで見ていないからです。永遠というタイムテーブルで見た時に真実な歩みが出来ます。また神様が常に共におられるということを知れば知るほどより洗練された歩みが出来ることでしょう。私たちは今比較的平和な時代、また国に生かされていてあまり実感はないかも知れませんが、純粋で明確な信仰を持って歩むときに常に主は共にいて下さいます。

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