週報より

責任感とか正義感を大切にすることはとても大切なことです。しかし時としてどっちを優先するべきか迷ってしまうこともあります。○○時に行きますと約束をしていて道中予期せぬ出来事に遭遇したらどうするでしょう?関わったら遅れるから見て見ぬふりをするか、また遅れるのが分かっていてもほっとけないか、人によって判断は分かれてくると思いますがそういう選択を迫られる場面は大小関係なく日常生活の中で、また信仰生活の中で出てくるものです。責任感、同情心など様々な情報状況を処理し続けるうちにある程度個人の行動パターンが形成されていきます。私たちにはそれぞれ神様から与えられた使命もあるでしょう。それと共に日常の様々な責任もあり、それと同時に神様に対する責任もあるわけです。一件結論が出にくいないようですがここで大切なのは「優先順位」をつけることです。その順位はそれぞれ違うでしょう。しかしお互いを認め合い尊重し合い、そして協力して行くときに素晴らしい神様の働きの全体像の一部を私たちはかいま見ることができます。有名な例え話で象の耳をさわった人は象はひらひらしているといい、足を触った人は柱のようだといい、鼻を触った人はホースのようだといい、胴をさわった人は壁のようだといいます。お互い感じたものが違うと否定し合うとそれで終わりです。そして皆「ぞう」を全体的に知ることはないでしょう。しかしそれぞれ触ったものを分かち合い、考える時にだんだんと全体像が見えてくるでしょう。私たちに神様はどんな全体像を知ってほしいと願っておられるのでしょうか?そしてなぜ全部知らせてくださらないのでしょうか?それは神様が人と人とのつながり、交わりを通して栄光を現し、御業を進めて下さるからです。

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