週報より

 誰かが見ていると思うと格好をつけたり、またいつもと同じように振る舞うことができなくなったりした経験はないですか?またその逆に誰かが見ていてくれたから安心したりがんばれたりしたこともあるのではないでしょうか?今日の聖書箇所で出てくる100人隊長のコルネリオはユダヤの人々を支配するために派遣されていた人物を思われますが暴君ではなく、神を畏れユダヤの人々に施しをし、神に祈りを献げていました。このコルネリオはユダヤ人ではありませんから聖書の知識もなかったでしょう。しかし神という方の存在を信じ、また神という方がどういうお方であるか非常に良く理解し、わきまえていたようです。神様はその彼の神様を意識した歩みをよしとして下さり天使を使わしました。またペテロにも不思議な幻をみせて異邦人に宣教していくという扉を開かれたのです。ここで大切なのが知っているという知識ではなく、理解し、従うというハートからくるアクションを伴う信仰をコルネリオが持っていたということです。キリスト教に好意を持っている方は多くおられますが、キリストを信じ、キリストの愛を受け、キリストの愛に応えようと生きている方となると残念ながら好意を持っている方達の中からどれだけ見出すことができるか分かりません。しかし神様はいつも私たちを見ておられ、そしてその歩みに答えてくださいます。コルネリオの家族に大きな救いの喜びが訪れたように私たちの人生にも神様ご自身が大きく関心を持って臨んで下さるのです。神様を常に意識した敬虔で喜びに満ちた歩みをしていきたいですね。
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