週報より

私たちは常に変わっていく状況の中で成長したり、また時には後戻りしたり、変化しながら生活しています。でもいつの間にか自分の頭の中で決めつけてしまっている物事や、この人はずっとこうだとかあたかも普遍のもののように思いこんでしまってそのことから自分が抜けきれない時があります。
 サウロの改心は当時のクリスチャン達にとってものすごく衝撃的な出来事だったことでしょう。つい先日までは自分たちを捕らえて牢につなぐために血眼になっていた人物がクリスチャンになってしまったというのですから何か裏があるに違いないと誰もが思ったことでしょう。事実サウロは祭司長から今の私たちがクリスチャンと呼んでいるような人々を誰でも捕らえる権限を授かっていたのです。しかし、イエス様ご自身がサウロに現れ、彼を改心に導かれたのです。この変化は後に歴史を大きく動かすことになりました。サウロと呼ばれていたこの人はクリスチャンになりパウロと呼ばれるようになりました。この変化はサウロはヘブル語読みでそのギリシャ語読みがパウロというらしいですが深い意味的にいうとサウロは大物を意味し、パウロは小物を意味すると学びました。まさに主にあってへりくだった姿がそこにあったのでしょう。またユダヤという限られた範囲に留まらないローマまで宣教にいったり、異邦人に宣教していった彼の生涯を象徴するかのようにギリシャ語名で呼ばれるようになったのかも知れません。そしてその名に恥じない働きを彼は行いました。その根底には明確な信仰が息づいていたことを私たちは歴史から、また聖書から知ることが出来ます。私たちもパウロのように明確な改心を持って主に立ち返っていきたいですね。 

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