週報より~信頼しあえる関係~

本当の信頼とはどういったものでしょうか?自分がそばにいるときに信頼出来るというのはまだ足りないものがあります。それはある意味監視されている状態だからです。監督者の前でいいように振る舞うのはどちらかというと当たり前という部類に入るでしょう。物事を安心して託すことが出来る。自分の代わりに単独で行動を任せれられるようになるとそれは信頼の印だと思います。新約聖書の歴史はこの「信頼」から成り立っています。イエス様はペテロをはじめ弟子達を信頼しました。そして弟子から使徒へと呼び方自体も変化していきました。習う人から指導できる人へと変わっているのです。弟子は師匠以上にはなれないかも知れません。しかし使徒として働くペテロ達の姿を見るとイエス様が公生涯にしていなかったことを多く成し遂げて教会を確立していく姿があります。そしてそれはイエス様が彼らに期待し委ねた働きでした。そしてこのイエス様の信頼は、それに値すると誰しもが認めるだけの成長を遂げてから与えられたものではありませんでした。ペテロが挫折し、葛藤し、回復する過程を通る以前にイエス様は彼にその信頼を伝えています。神様の信頼は見合うだけの能力を身に付けて、また目標を達成した人にだけ与えるものではなく、未来完了形で与えられます。そしてそれを成し遂げるのは信仰です。私たちも未来完了形で教会を建て上げていきたいと願います。そしてそれを期待し、励まし合い、成熟から成熟へと進んでいける群れでありたいと願います。主によって愛し合い、主によって歩みましょう

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