週報より
善悪を決めるのは難しい事です。努力することは素晴らしいことです。しかし何のために努力をしているか?というところをしっかり見ないとその努力は無駄どころかかえってマイナスになってしまうでしょう。じゃあ結果が良ければ何をしてもいいかというとそれも違います。そういった道徳的価値基準は生まれ育ったコミュニティによってかなりの誤差があります。簡単にいうと賞賛される内容が全く異なるということです。例えば遅くまで残業している人がいるとします。その人は賞賛に値するでしょうか?確かに遅くまで働いていて大変かも知れません。でも仕事をするペースが遅く実際に他の人と同じ量しか仕事をしていないのに残業になっているとしたらそれは賞賛されるでしょうか?またちょっとした事でも会社に休日でも出て来ることはどうでしょう?上の二つは多くの日本企業で賞賛されやすい内容ですが国が変われば全く賞賛されずかえって「あなたは家族をどうして大切にしないのか」と問いただされる事例です。当たり前が違うのですね。ブラジルなどではプロのサッカー選手が奥さんと喧嘩をしたという理由ですぐに家に帰って仲直りをするようにと周囲に言われそれを実行するということも普通にあると聞いたことがあります。この当たり前という言葉の指す意味は自分にとってという前提で成り立つ言葉です。基準がそれぞれ違うのですから押しつけてしまう段階で問題が多く出てくるでしょう。私たちはお互いの価値基準をよりよい基準にするためには聖書を基準とすることが本当に大切だと思います。それでもどこを協調するかで違いは出て当然です。でも当たり前ということは違っていて当たり前とまず受け止め、理解していこうとすることを当たり前とすることからはじめていけれたら素晴らしいと思います。