週報より

私たちの生活の中に神秘的に見えるものは多くあります。荘厳な雰囲気であるとか、またなんでかは分からなくてもありがたいと感じてしまう物事など多くの不思議なものがあります。そういった中に占いであるとかそういった類のものがあります。直接的に関係がないことをさもすべての根源のように伝え、そんなことを聞いたことがないと心を惑わせたりすることばがニュースや新聞、テレビやインターネットなどあらゆる媒体を通じて発信されています。なぜそういう怪しげなものが多くあるのでしょうか?それは需要があるからです。ではなぜ需要があるのでしょうか?様々な考え方があると思いますが、その中のひとつとしてそういったものに惹かれる理由として自分の人生における責任の一部、特に一見マイナスと思えることを何かのせいにしたいという責任転嫁の考えが根底にあるように思えます。これはアダムとエバがエデンの園において最初に犯した罪の中に見られるものです。自分がしました。と素直に謝れず○○のせいで~と言いたいのです。
 聖書には明らかにそういった私たちの根本的な不利になるもの、すなわち罪について十字架によって贖われていると記しています。もちろん赦されるならなにをしてもいいという幼稚な考えになるのではなく、赦されたのだからそういった過ちをもう犯さないようにしようと努めることは大切です。しかしその物事がどのように処理されているかを知ることは私たちの人生を晴れやかにします。そして私たちが受けているものを自分だけのものにするのではなく、私たちを取り巻くすべての人々に様々なスタンスで流し出していけたら本当に素晴らしいことだと思います。多くの恵みを受け、多くの実を結び、多くの人々を笑顔にしていきたいですね!

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