週報より
誰も見ていないとつい悪いことをしてしまう、そういった弱さやずるさを自分の中に感じたことはありませんか?そういった時に感じる弱さを葛藤に変え、神様の前に出ていく時にこそ私たちは赦されていること、そして変えられることを深く感じ、また体験することが出来ます。誰も見ていないといってもそこには三人の証人が常にいることを覚えることがまず大切だと思います。一人目はすべてをご存じである神様です。二人目はモーセの罪をサタンが神様に訴えたとあるように悪魔は私たちの行いを覚えています。三人目は自分自身です。どんなにうまく偽ったとしても、ごまかしたとしてもそれだけの目撃者がいることを覚える必要があります。どうやってもその目をごまかしたりすることは出来ないでしょう。時として自分に不利になることがあったとしても偽証を立ててはならないという聖書のことばに従うこと、真実に歩むことは地上においては損な役回りになることがあるでしょう。行いにおいて私たちは完全ではないですし失敗することがあるからです。しかし私たちが正直に歩んでいったその歩みを神様は決して忘れる御方ではありません。かえって表面を取り繕って歩んでいる生き方をしていることの方をじっと忍耐して見ておられることを覚える必要があります。私たちはそのままの状態で神様の目に叶う歩みは到底できません。だからこそ赦しが必要です。神様の愛が必要です。そして神様の力が必要です。真実によって歴史を揺り動かされる主に忠実に従っていきましょう。