終わりからはじまる事(週報より

状況は変わらなくても、自分の中でなにかが吹っ切れたりして自分の姿勢が変わることで事態を好転させていくことが私たちには出来ます。聖書の中には一粒の麦が地に落ちてそれが何十倍何百倍の実を結ぶことが例えとして書かれています。種がいつまでも種のままであったとしたら、それはいつまでも一粒のままです。しかし地に落ちて死ぬことによって多くの実を結ぶことにつながっていきます。土の中で、真っ暗で、泥まみれになって砕かれて、自分自身も大きく変わっていくことを要求されます。しかし芽を出し成長し、そしてついには実を実らすのです。自分自身を大事にするということは大切なことです。しかし自分が神様と向き合い、そしてビジョンに燃えそれを動かして行く時に、必ず私たちは自分たちの自我と戦う必要が出てきます。優先順位が時には変わります。忍耐が必要になります。犠牲も必要になるでしょう。しかしそれを信仰持って、神様に期待し、委ねていく時にどんな状況にも神様の恵みに変えていくことが出来ます。ピンチをチャンスにするには信仰の決断とそれを遂行していく信仰からくる行動が必要になります。エレミヤは預言の働きのために時には命をかけ、時には命を存続させることを優先しています。しかしそこには自己中心的な思いではなく、自分自身には死に、神様によって生かされ、生きている姿があります。人間の力には限界があります。しかし私たちの信仰の決断に基づく神様の働きは私たちの力を遙かに超えた力強いものです。私たちも主によって生きるものとなりましょう!

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