週報より
春になり様々な花が咲いています。やがて実を結び、そして収穫の時を迎えます。良い樹は良い実を実のらせます。また悪い樹は悪い実を実らせます。どのような場所にどのように種を蒔くか、そしてどのように世話をしていくかで結果が同じ樹でも大きく違ってきます。旧約時代において律法による裁きがありました。しかしそれは守るというよりも守ることの出来ない人間の弱さと赦される神様の愛の繰り返しという風にも読み解くことが出来る状況がありました。その中でも局地的に罪が蔓延し、神様の裁きが下されている箇所があります。エレミヤ書にはバビロン捕囚の前後の事が書かれていますがその背景には民の偶像礼拝やそれに伴う大きな罪が書かれています。人は神様によって自由意志が与えられています。それぞれが自分で決断することが出来るはずなのに悪い方向に引っ張られてしまいやすい弱さがあります。赤信号みんなで渡れば怖くないという言葉にあるような集団心理や善悪の区別がつかなくなるような状態。お酒に酔って普段しないようなことをしても酒のうえでのことだからで謝らないですましてしまうような文化も危険なことだと言えるでしょう。それぞれ自分の足でしっかりと立ち、分別を持って人生の責任を自覚する必要があります。聖書には多くの素晴らしい記事があると共に多くの失敗や罪も書かれています。それを自分に当てはめて、今自分は神様とどう向き合っているのか検証していく必要があります。現代問題になっているモラルの低下、アイデンティティの低下といった波に流されないように、しっかりとイエス様を土台とし、自分自身を建て上げていきましょう。