週報より
本心と言葉が違っていること、本音と建て前の使い分けがいつの間にか大人の対応と思ったり大人ってきたないって思ったりいろんな考えがあります。常に直球ではなく変化をつけることで本当に伝えたいことが伝わったりすることがあります。何かを注意するときに自分が注意した!という達成感を得るために義務的にしているのか、それともそういったことがなくなるように言い方を工夫するということも出来ます。時として注意しなくても注意したかった事柄を解決させることもすることが出来ます。大切なのは注意するにしても結果を引き出すために違った方法をとるにしても問題をなんとかしたいという心です。文字通りだけマニュアル的に注意したり、自分が優越感に浸るために注意したりするのは結果的に改善されずに何度も注意しなければならないことも多くあります。それは受け止める側も「また言ってる」とか「自分のことは棚にあげて」的な受け止め方をしているケースが多いからです。でも信頼している人、また尊敬している人から同じことを指摘されると一回で改善出来たりするものです。そういった問題の根底にあるのは心と心のつながりです。問題を真に解決するには規則で縛る以上に心と心の関係をしっかりと築き上げていくことが大切です。神様は聖書を通して私たちにありとあらゆる方法で愛を顕して下さっています。神様の思いは私たちが考えている以上に高く深く広いものです。そんな神様をしっかりと見上げて期待して歩んでいきましょう。そして私たちの身近におられる方々とも本心が伝わる人間関係を築いていきましょう。