週報より

私たちは様々なことをすることによって結果を得ます。種を蒔けば刈り取りがあり、勉強をするといい成績がとれたり、また人にやさしくしているとその結果信頼や自分が困っているときでも助けてもらえることもあるでしょう。時には種を蒔いても災害で作物を得られないこともあるでしょう。しかし蒔かなくても得られることは普通ありません。あるとすれば対価を払って譲ってもらうか盗むしかありませんね。前者はいいとして後者は誰でもしてはいけないと知っているはずです。もしそれが発覚するとその大きさによって裁かれるでしょう。裁かれたらそれで終わりかというと信頼を失い、前と同じようにはなかなかいかないものです。信頼は築くのは大変ですが壊す時は一瞬で可能なガラスのようにもろいものです。エレミヤ書はイスラエルの民がバビロンに奴隷として連れて行かれる前後について書かれていますがそのプロセスに罪というテーマと赦しというテーマがあります。本当は完全に裁かれて滅びてしまうような状態にあったのに主が哀れみ赦して下さる側面があります。といっても民の置かれている状況は悲惨なものでありとても恵まれているものではありません。誰しも避けれるのであれば避けたい状況がそこにはあります。主の愛にふさわしくとまではなかなかいかないにしても少しでも応えていこうとする姿勢を明確に持って歩んでいきたいものです。罪を知り弱さを知り、そして全能の主を知って、主の愛に生かされ変えられていく者となりましょう。
 

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