週報より

私たちは神様に対していろんな祈りを捧げます。感謝の祈りや悔い改めの祈りそして願い事、時には魂の叫びのような祈りもあるでしょう。この中でおそらく普段時間を多くさいているのは願い事ではないでしょうか?長年祈っていてもなかなかそのようにならないこともあります。またすぐ応えてほしいのにそうならない場合、また逆にすぐに応えられる場合などこの願いに関しては多くの方がはっきりとした神学を持つことが出来ずに漠然とした状態でいるのではないでしょうか?祈りに対するこたえとしてはその通りになるということ、またそうならない、また放任されている状態、またより良いことが答えられること、そして自分が変えられていくことで願っていたことが必要ならなくなるという結果が出ることもあります。1ヨハネの手紙には御心にかなう祈りをする時にその祈りは聞いて下さることが書かれています。そしてそれがもうかなえられたと知ることが出来るとあります。これを未来完了形と表現しますが、先でそのようになることを知って確信するということです。私たちは実際そうなってみないと分からないと誰しも思いますが、信仰によってすでに答えられると確信することが出来る明確に書かれています。でもここで問題があります。それは御心にかなう祈りとはなんなのか?ということです。それは争いではなく赦しであり、自己中心ではなく与えていくことであり(ここで注意点として自分を愛するように他人を愛するということが聖書にあるように自分を蔑ろにしてはいけません。悲劇の主人公的な祈りはバランスを欠いています)聖書をしっかりと読み解いていきながら、また体験的に学んでいく必要があります。主の御心を知るものとなりたいですね。

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