週報より~律法の本質~

人との会話の中に本音と建て前という二面性が時としてあるでしょう。それが配慮であったり裏表であったり、いろんなケースがありますが見える部分だけですべての物事を決めつけることが出来ないこと、また見えているところ以上に見えないところのほうが大切であり本質であることを知ることも大切です。例えば誰でも子供の時に親に叱られた経験はあるでしょう。たまたま虫のいどころが悪かったこともあるでしょうが親が冷静な状態で怒っている場合、それは子供がかわいいから、大事だからこそ叱っていると思います。でも小さい子供は叱られたことによって悲しみ時として親のことが嫌いに思うこともあるでしょう。親の心子知らずと日本のことわざにあるように親が思っていることをすべて子供が理解するのは難しいことです。それであればなおさら私たちが天の父なる神様の思いを理解することはどれほど大変でしょうか。しかし神様は私たちにご自身の思いを聖書として歴史の中で多くの人を用いて私たちに思いを伝えて下さいました。そこには神、罪、救いと大きく3つのテーマがあると思います。そしてその根底に流れているのは愛であり、神様の義です。罪がなにかを知らなければ救いを必要とはしないでしょう。罪というよりも私たちの弱さと言い換えたほうが分かりますいかも知れませんが私たちのすべてを神様は受け止め、そして麗しくつくりかえて下さることがおできになるということです。大人になっていくと自分の内面を見ていって自分は本当にすごい奴だとはなかなか素直には思えないものです。しかしその弱さや情けなさもすべて包み込んで受け止めてつくりかえて下さる神様がおられます。神様の思いを知り、神様の力を知って歩んでいきましょう。

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