週報より~恵みの下に生きる~
その場の雰囲気に流されてしまったことは誰しもあると思います。私たちは集団心理に弱かったり、薦められると断りにくかったり、自分の意志決定に周囲の状況が大きく影響していることを知る必要があります。結果的に益と出ることもあれば、後悔することもあると思います。しかしだからといって特に残念な結果になった時に○○のせいでという風に責任転嫁してしまうともうそこには自分で決定したということに対する結果というよりもまさに流されて生きている状態です。もちろん愚痴をこぼしたくなることもあるでしょうがどういう決定にしても自分が責任を持つということが本当に大切です。そしてこの意志決定で大きいところをローマ人への手紙から見ると罪(情欲)の下にあるか恵みの下にあるかという表現があります。きよめられていくという過程において、また生涯続くといってもいいかも知れないテーマに行き過ぎた自己中心的な情欲や罪に流されるか、恵みの下に留まるかということがあります。恵みの下ということはイエス様のもとに留まるということです。つまりイエス様のように生きたいという方向性です。それと同時に神様は私たちに恵みを注いでいて下さいます。もちろんその中には霊的祝福、物質面での祝福も含まれます。その求める時の姿勢が自己中心的に強欲になっているか、神様にあって祝福を受けるかの違いは非常に大きいものがあります。自分の内面を見つめ直し、与えられているものを賢く管理し、与えられる祝福を正しく受け止めることが出来るように成熟した者となっていきましょう。