週報より~キリストにある相続人~
相続というものは子供であるがゆえの特権であり祝福ですが、時にそれがもとで争いになったりすることもあるデリケートな問題です。聖書の中にもエサウとヤコブの兄弟の間で長子権をめぐっての争いが描かれています。特に旧約聖書においてその祝福の重さについて考えさせられる箇所です。ふたりは双子で兄のエサウは最初その価値がよく分かっておらず、ささいなことでその権利を弟のヤコブに譲る約束をしてしまい、その結果父をだまして長子の受ける祝福をヤコブはとってしまいます。そしてその価値をエサウが知った時にはもう遅かったというものです。それだけ相続という事柄は大きなものです。特に聖書では物質的な祝福以上に霊的祝福と権威を重要視しています。新約にはいってこの大きな問題がひとつの家族や部族単位ではなく、キリストを信じるものすべてに与えられる神の子としての相続、つまり天において受けるべき祝福について書かれています。それは地上のどんな価値あるものよりも尊いものであり栄光に満ちたものであることが書かれています。だからこそ地上の生活において一喜一憂するよりも天にある栄光を思うように聖書はすすめています。私たちがそういった視点を持つときにゆとりも出来ますし、神様の視点を共有した歩みが出来るようになります。目先のことだけに囚われるのではなく、主にあって豊かな歩みをすることが出来るのです。