週報より~キリストにあって生きるということ~
私たちの中には正しいことをしたいという思いや、反抗したいというような思いなどが混在していて時として自分でもどうしたいのかが分からないこともあるかも知れません。そこには正義と悪というような分かりやすい基準で切り分けてしまえない難しさがあります。なぜから私たちにも同じような経験があれば、同じような問題で葛藤し一時的に状況が悪くなっているだけということも理解できますし、ただ現状で裁いてしまうことに疑問を感じるからです。むしろ受け止めてもらえることで正しい方向性に向かうこともあると思います。イエス様は私たちのそういった弱さや感情のこともよくご存じでした。キリストはただ奇跡やいやしを行う不思議な方という存在ではなくそれ以上に関わる人々を輝かせるすぐれたカウンセラーでもあったと思います。彼らはイエス様のことばによって人生の方向性を見出し、また自分の価値を見出し、なによりも平安や喜びを見出しています。私たちの行いはただそれを正しい正しくないという基準で管理されたり、また管理しようとしてもなかなか思い通りの基準にはなりません。しかし私たちの心がキリストにあって変えられていくときに、困難だった行いを変えていくことも決して難行苦行ではなく変えられていくことが出来ます。人に見せるための善でななく、本質的に変えられていくのです。だからこそ無理がありませんし、なによりも魅力的だと思います。裏表の激しい人を見ても誰も素晴らしいとは思わないし、そうなりたいとも思わないでしょう。私たちは表も裏もキリストによって日々新しく造りかえられていきたいと願います。