週報より
私たちがいろんなものに興味を持つのにまず「知る」というプロセスがありますがある場合は「聞く」また「見る」というところから入ると思います。そして「知る」という一言でもただ情報として知っているというレベルと理解している、さらに発展して好意を持っているという段階があります。理解しさらに好意を持った場合にそれが趣味になったり、時として生き甲斐になったりするかも知れませんね。また知れば知るほど深さが分かるということも少なくないかも知れません。親の心、子知らずということわざがありますが自分が親になって理解出来る親の気持ちや考えというものも多くあるでしょう。私たちの理解の深さは私たちの行動や動機付けに大きく影響するということです。イエス様を知るというのは福音として私たちの罪のために十字架にかかられ復活してくださった。ということから、なぜ十字架にかかられたか。また十字架という一つの歴史的事実のためにどれだけ長い期間が準備期間としてあったのか。その準備期間のためにどれだけ多くの人々を主が用いて旧約聖書を記し、またその実践の中で私たちの弱さや罪、そして神様の赦しと愛と義を示してこられたか。その深さは計り知ることは天文学的な深さになると思います。その断片を私たちはどれだけ知って、そして主と歩めているでしょうか?毎週の礼拝の中でもその深さをどれだけ知っているかで恵みの高さ深さ広さは本当に大きく変わってくるものです。主をもっともっと知って、そして両手を広げて恵みをもっと受け取りましょう。そして主と共にどんな時も力強く歩んでいきましょう!