週報より

様々な災害に備えて避難する場所やシェルターが私たちの身の回りには存在しています。
その中にはいればある程度の食料などもあり寝る場所もある。なによりも命が守られる。そういう場所ですが神様は私たちにとってそういう存在であり、また人が多すぎて十分な支給が受けれないというようなことは決してない避け所です。主のうちに留まるということは私たちに必要なものは与えられるということです。旧約聖書を見るときにモーセが荒野を60万ものイスラエルの人々を連れてエジプトからカナンまで40年かけて移動するという有名な箇所がありますが、そこで必要は常に満たされていました。あまりはしないけども不足もしなかったのです。私たちは常に有り余る状態じゃないと不安になったりしていませんでしょうか?日本人はよく貯金をすると言われます。それ自体は別にいいことですし決して悪いとは私も思いません。しかし世界を見るときに貯蓄していくよりもその時与えられているもので楽しく過ごすという考え方もあります。そういう方から見ると倹約して貯めていくという考えは理解しにくいと言います。人それぞれだと思いますがその根底に神様にあってという考えがあるかどうかが大事だと思います。主にあって貯蓄し、主にあって感謝して使う。そういった生活サイクルが持ちたいものです。いつのまにかイエス様が不在でお金の心配ばかりになってしまうのは正しいとは言えないしただ浪費することも良くないことです。なにをするにしても、主にあって成していきたいですね。

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