それぞれが担う宣教~週報より~

神様が教会やクリスチャンひとりひとりに命じておられ期待されている働きに宣教があります。

それは大きな柱であり信仰生活とは切っても切り離すことが出来ないものです。

ただ全員がもし宣教師になったら誰がサポートするでしょうか?

もし全員牧師になったら?それはそれでおもしろいかも知れませんがバランスがとれていないようにも見えます。

宣教師や牧師、伝道師、教会スタッフなど分かりやすい形で献身しているとそれは宣教に直接的に関わっていると分かりやすいでしょう。

しかし宣教はクリスチャン全員が担っているものであると認識することがとても大切です。

遠くのだれか偉い人がやっているというものではありません。

それぞれが祈りによって繋がり、サポートし合いながら進んでいくのが宣教であり、

クリスチャンひとりひとりの存在を通して神様を知るきっかけを増やしていくことも大きな宣教の働きです。

世の光地の塩としてクリスチャンが役割を果たすようにと聖書には記されています。

塩は腐敗を防いだり、味を調えたり、多くの文化圏できよめのために用いられるものであり、また人間の命を維持するために必要なものです。

光は暗闇を進む時に必要ですし、また多くの物を照らし出します。

それぞれが自分に与えられている賜物、また経験、知識、産まれもって与えられているものを神様にあって用いていく時にそれは素晴らしい宣教へと繋がっていきます。

自分にはなにもないと思う生き方ではなく、自分には神様が多くのものを与えられていると主に期待し、主に感謝して歩んでいきましょう!

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