週報より

太陽があって月があって私たちの生活の中には昔から光があります。そして光があればその反対に影が出来るものです。照明機材をつかえばいくつもの濃さの異なる影をつくることも簡単にできます。光があって物があるときに光と物を結んだ反対側には影ができるのがふつうです。しかし全方向から同じ強さで光が当たっているとそこには影は出来ません。神様は聖書の中で完全な光のようなお方と書かれています。私たちの心を照らして下さるお方です。私たちの心が神様によって照られる時にそこにある様々なものが明らかにされます。前は気にしなかった些細なことに葛藤を覚えたり悩んだりすことがクリスチャンになって増えたと言われる方がおられますが、それは闇にあったものが照らされ、そしてそこをみことばを持って整理していく時に誰しも通る道です。自分でも気がつかなかった自分、見えてなかった側面が見えて来たときに、それも含めて愛しして赦して下さっていた、またいるイエス様の愛の深さを実感することが出来ます。そしてそこから動き出すことが出来るのです。自分の力ではとても出来ないことでも、助け主である聖霊様によって出来るのです。昨日の不可能は今日の可能になっていくのです。私たちをおつくりになった方は私たちを変えることがおできになります。私たちが心を開き、神様を受け入れていくときにそこには素晴らしい変化があります。湯によって日々新しくされていきたいですね!

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