週報より

天地創造を考える時に、地球上の時間ができたのはいつだろうかと考えされられることがあります。地球と月と太陽があり、その運行が決まってはじめて一日が24時間であり、また365日で1年という時間の概念ができるわけですからそれ以前に光を創られた一日はいったい今の時間で換算して何時間だったのだろうか?と考えてしまいます。第2ペテロの手紙には神様の前に一日は千年のようであり千年は一日のようですと記述があります。時間すら超越された存在がまさに神様なのですから本当に私たちの想像を遙かにこえたお方であると思います。そんなお方を私たちが限られた知識や経験、フィーリングでどうこう言うことがどれほど浅はかなものであるか計り知ることが出来ません。ただ聖書の中には神様がどういうお方であるかいろんな角度から書かれています。今日の聖書箇所にある絶対的なもののひとつに神様はひとりとして滅びることを望んでおられないということがあります。滅びというのは私たちの自由意志による決定で神様を信じない。悔い改めない、罪から離れないなどまさに罪から来る報酬は死ですとあるように自分の蒔いた種を刈り取るようにやってきます。しかし自分の意志でイエス様を救い主として信じていく時にそこには救いがあります。私たちは毎週自分の意志で喜んで教会に集うわけですからそこには自分の意志決定があるわけです。また会社や学校にいくのも当たり前のようですが自分の意志が決定していくわけです。だれかが行けといったとしてもそれに従うことを決定して実行しているのは自分ですから、神様を自分自身で信じ、そして喜んで仕えていく者となりたいですね。そして神様の御業を体験していきましょう!

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