信仰による回復~ヤコブ5:15-20
信仰とは神様に対する信頼という側面もあります。そして信仰とは祈ることと共に祈りに導かれて人々とつながっていくこと、神様に従うこととその現れは見えないものだけでなく見えるかたちにも現れていきます。心にあることが見えるかたちになって現れるのです。
しかし、したいと思っている善よりもしたくない悪を行ってしまう肉の弱さをパウロが記しているように私たちはすべて信仰から来ることだけを現わしていくことは困難かも知れません。それでも私たちはエリヤが信仰によって雨を降らせ、火を降したように神様を信頼して祈る者となりたいと願い続ける者でるべきです。まず心で信じたことを諦めない心を持つこと、そしてそれを現わしていこうとすることが信仰の行動へと繋がっていきます。
思うだけでなく互いに罪を言い表し、共に主の前に遜るということもとても大切です。そこから癒しと和解が流れでるからです。そして間違った道から人々を連れ戻すならそこには大きな回復が伴います。主の祝福が人間関係を回復させるだけでなく、ソロモンが神殿を建てた時に主が語られたようにその地を回復させてくださる主の愛と恵みが注がれます。そこにリバイバルから来るトランスフォーメーションがあります。地域の経済や気候も主の祝福によって変貌していくことが起こりえるのです。
神様を信頼し、祈り、伝える者となっていきましょう。